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2008-05-24

「難波津の歌」と『万葉集』収録歌が裏表に記された木簡見つかる@紫香楽宮跡(滋賀県甲賀市信楽)

やはり
 木簡としては薄すぎるのが問題
だ。

木曜日は少し夜遅く帰ってきたのだが、
 紫香楽宮跡と推定される滋賀県甲賀市信楽の宮町遺跡から出土した木簡の裏表に「歌」が書いてある
のが、大きなニュースになっていた。昨日の大阪本社版朝日の朝刊では一面トップの扱いだ。


万葉集成立前?に万葉集収録の歌を書いた木簡が出土
2008年05月22日

 滋賀県甲賀市教委は22日、奈良時代に聖武天皇が造営した紫香楽宮(しがらきのみや)跡とされる同市信楽町の宮町遺跡(8世紀中ごろ)から、国内最古の歌集の万葉集の歌が書かれた木簡が見つかったと発表した。万葉集収録の歌が木簡で確認されたのは初めて。出土した他の木簡に記載された年号から、この歌が収められた万葉集16巻の成立(750年前後)より数年から十数年前に墨で書かれたとみられる。
 
万葉集の歌などが記された木簡=滋賀県甲賀市、諫山卓弥撮影
  
 木簡は上下二つに分かれて出土し、上部は長さ7.9センチ、下部は14センチ、いずれも幅2.2センチ、厚さ1ミリ。上部の片側には漢字1字で1音を表記する万葉仮名で「阿佐可夜(あさかや)」、下部には「流夜真(るやま)」と書かれている。万葉集16巻には、陸奥国に派遣された葛城王をもてなした前(さき)の采女(うねめ)(元の女官)が、王の心を解きほぐすため宴席で詠んだ「安積香山(あさかやま)影さへ見ゆる山の井の浅き心を我が思はなくに」が収録されている。

 反対側の面にも「奈迩波ツ尓(なにはつに)」「夜己能波(やこのは)」「由己(ゆご)」とあり、10世紀初めの平安時代に編さんされた古今和歌集収録の「難波津(なにはつ)に咲くやこの花冬ごもり今は春べと咲くやこの花」の一部とみられる。「難波津」の歌が書かれた木簡は奈良県の平城宮跡などで見つかっている。

 この2首の歌について紀貫之は古今和歌集の仮名序(905年)で「歌の父母のやうにてぞ手習ふ人の初めにもしける」と、初心者が最初に習う一対の歌として紹介している。2首を手本とする考え方はその150年前から存在していたといえそうだ。

木簡の元の長さは文字の大きさから約60センチと推定。宮廷の儀式や歌会などで用いられた可能性が高いとみている。

 市教委は25日午後1時から同市内の信楽中央公民館で報告会を開き、木簡を展示する。定員150人(先着順)。26〜30日にも同市内の宮町多目的集会施設で展示する。いずれも無料。

     ◇

 「安積香山(あさかやま) 影さへ見ゆる 山の井の 浅き心を 我が思はなくに」(安積香山の影までも見える澄んだ山の井のような浅い心では私は思っていないのです)=小学館の「日本古典文学全集」などから

     ◇

 「難波津(なにはつ)に 咲くやこの花 冬ごもり 今は春べと 咲くやこの花」(難波津に梅の花が咲いています。今こそ春が来たと、梅の花が咲いています)=小学館の「新編日本古典文学全集」などから

     ◇

 〈上野誠・奈良大教授(万葉文化論)の話〉 万葉集の原本は見つかっておらず、これまでの研究はいわば写本の比較にとどまっていた。今回の発見は、人々の間に広まっていた歌が書き記され、歌集になるという万葉集の一連の成立過程を明らかにする上で極めて重要な発見だ。

歌木簡の話は、昨年12月の木簡学会で、今回の調査に当たられた栄原先生が発表された。
その時、わたしは次の点を指摘した。
 長さについてだが、漢代の竹簡の長さは、その記される書物や文書の性格によって決まっている。約2尺という長さは、そうした竹簡の長さとの関わりとも比較すべきだ
と。
今回の木簡は長さは60cmと推定されているから、これも
 約2尺
の木簡である。儀式や歌会で用いられる木簡の長さとしては申し分ない。
問題は
 薄過ぎる
点だ。宴席で歌を詠むために使われるような正規の木簡であれば、ちゃんとした厚さが必要なのだが、
 たったの1mm
なのだ。これでは、宴席に持ち運ぶことが出来ない。
実物を見てないから、何とも言えないのだが、読売の報道では、次のように指摘している。


裏側に着目、至宝発見…栄原教授

(略)
2006年、大阪市中央区の難波宮跡から、和歌とみられる万葉仮名が書かれた木簡が出土。以来、「歌を書くための木簡があるのではないか」と考え、全国各地の「歌木簡」とみられる14点を調べてきた。

 甲賀市の文化財作業所を訪れたのは昨年12月10日。紫香楽宮跡で1997年度に出土した「難波津の歌」が書かれた木簡が気になったからだ。

 「表面がきれいに整えられている。歌木簡に違いない」。調査を終え、ガラス板の上に置かれた木簡をぬらしたガーゼでくるもうとした時、ふと裏側の墨痕に気付いた。「阿佐可夜(あさかや)」の4文字が読めた。「電撃が走ったような驚きだった」

 出土から10年余り。難波津の歌を表にして保管され、薄さから片面にしか文字が書かれていない削り屑(くず)とみられてきた。「歌木簡を考えていなければ、気付けなかったろう」。出土した7100点の木簡から、〈至宝〉の1点を探りあてた。

(2008年05月23日 読売新聞)

恐らく、
 難波津の歌
が記されている方が本来の表面で、こちらは綺麗に表面を削ってあるところに、難波津の歌を書いてある。
問題は、
 裏面の『万葉集』所収の「安積香山の歌」
の方だ。これまで、この歌が気がつかれなかったのは、上記記事のように
 薄すぎて、削り屑木簡だと考えられてきた
からだ。これはやはり
 表面を削った裏に書いた
と考えるのがよいと思う。
現在公開されている写真からでは、裏表が
 同じ人間の手によるのか、それとも違う人間が書いたのか
まではわからない。これは、木簡研究で常に考えなければならない問題で、同じ面に書いてある文字でも、
 手が同じかどうか
は、現物を見ないとわからないのだ。

今回の木簡の価値は
 『古今和歌集』仮名序に「歌の父母」として紹介されている二首が裏表に書かれている点
にある。
『古今和歌集』仮名序。〈〉は仮名を漢字に直したもの。[]は注釈部分。岩波の古典大系本による。


なにはづ〈難波津〉のうた〈歌〉は、みかど〈帝〉のおほむはじめなり。[おほさゝぎのみかど〈大鷦鷯帝=仁徳〉、なにはづ〈難波津〉にて、みこときこえける時、東宮をたがひにゆづ〈譲〉りて、くらゐ〈位〉につきたまはで、三とせ〈歳〉になりにければ、王仁といふ人のいぶかり思ひて、よみてたてまつりける哥也。この花はむめ〈梅〉の花をいふなるべし。]
あさか〈安積香〉山のことばは、うねめ〈采女〉のたはぶれよりよみて、[かづらきのおほきみ〈葛城王〉を、みちのおく〈陸奥〉へ、つかはしたりけるに、くにのつかさ〈国司〉、事おろそかなりとて、まうけなどしたりけれど、すさまじかりければ、うねめ〈采女〉なりける女の、かはらけ〈土器〉とりて、よめるなり。これにぞ、おほきみ〈王〉のこゝろ〈心〉とけにける。]
このふたうた〈二歌〉は、うた〈歌〉のちゝはゝ〈父母〉のやうにてぞ、てなら〈手習〉ふ人の、はじ〈始〉めにもしける。

ただ、
1. 「儀式用木簡」としては薄すぎる
2. 字が汚い
3. 裏表の筆者が、同一人物かどうか分からない
ので、
4. 「歌の父母」が同時に書かれたものではない
だろう。もっとも、
5. 宴席で最初に詠まれると推定される「難波津の歌」が書かれた「歌木簡」を削ったもの
というのは動かないと思う。で、
6. 歌木簡の表面をこけらのように薄く、一枚のものとして削り、裏に「歌の父母」として一対をなす「安積香山の歌」を書き付けた
のが、今回発見された
 『万葉集』成立以前に『万葉集』収録歌が書かれた木簡の正体
だと思う。記事はミスリードしかかっているが
 「歌の父母」が記された状態で「宴席に持ちこまれた木簡」
ではない。
7. 「難波津の歌」の書かれた「儀式用の歌木簡」の本来の裏側に書かれていたものは不明
である。たまたま、削られた表面だけが、今のところ残っているのだ。
で、「難波津の歌」の部分だけれども
8. 字が汚いので、実際に宮中の宴席には持ちこまれてない
と思う。いくらなんでも、この字はまずいでしょう。
上野誠先生が、上記の読売の記事で


一方、仮名序の説明に注目する上野誠・奈良大教授(万葉文化論)は「二つの歌は、英語の『ABCの歌』と同じ。聞いた歌を書き留め、文字を学ぶ練習に使った木簡ではないか」と推測している。

とコメントされているように、
 法量としては「儀式に使われた歌木簡」だが、実際には儀式では使われてない
と見るのがいいのではないか。平城宮やその周辺から出てくる木簡の書風から推定するに、今回の「両面歌木簡」は、
 習書(お習字)
と見た方がいい書風である。儀式に使うものであれば、もう少し丁寧に書くだろう。ま、紀貫之が「仮名序」に書いた如く
 手習ふ人の始めにもしける二首
なわけで、まず、文字を習い始めたときに覚えるのが、この二首という伝承が、貫之の頃にもあったってことね。その現物が出てきた。

今回の木簡は、『万葉集』成立前に『万葉集』収録の歌が書かれていた。上記の推論のように、本来の木簡の表面を薄く削った裏に「安積香山」の歌を記したこの木簡が『万葉集』の稿本だとは、到底考えられないが、歌の編集に木簡を使っていただろうことは、不思議でも何でもない。
長いテクストを、細長い竹や木の札に書き付けて、紐で編んでいたのが、中国の古い書物の形態だ。日本では、「細い簡を編んで大きな面を作る」という部分はなく、板に短いテクストを書き付ける形態が一般的だと思う。
そういう使用法だと、和歌は、ちょうど木簡に書き付けるにはちょうどいい長さだ。
カルタを考えればよい。木簡はカルタより遙かに細長いけれども、そこに、歌を書き付けて、編集する過程があったとも考えられる。いくらでも並べ替えが可能だからな。少々乱暴な言い方をすれば、北海道の
 木札カルタ(百人一首の下の句だけが変体仮名で記された木のカルタ)
を想定するといいのではないか。木札カルタを並べるときは
 心
とか
 今
とか、文字別に並べたり、得意な札を手前に持ってきたり、自由に並べるけど、そうした操作性は、木簡でも同じだろう。
 木簡→編集→紙に清書
という段階が想定できる。

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