辞書を引く
Apteの梵英辞典を引きつつ、大乗経典を読むのは、かなり間違っているのだが、なぜかMonier-Williamsが行方不明になっているので致し方ない。Monier-WilliamsはRoth-Bohtlingkを縮約した英訳版だとか悪口を言われる辞書だけれども、辞書のボリュームの割には語彙数は多い。何でもかんでも入っている、というのが正しいのかも知れないが、仏典などと言う、正統なSanskritから見るとvulgar以外の何者でもない文献を読むのには便利だ。Edgertonは、当時知られていた仏典から語彙を拾いまくっているけど、依拠したテクストが、たまにマズイ奴があって、訳語に一考の余地があったりもする。卒論を書いてる頃、気がついたから、Edgertonをちょっと一生懸命引いた経験がある人間ならば、誰でも気づく問題だと思う。
ローマナイズされたテクストを、適宜切り(Sanskritはsandhiという音韻変化があり、音韻規則に従って、単語の切り分けと復元をするところから、テクストを読む作業が始まる)、語根を見る。語根を調べていると、耳元で、先生方が授業で必ず尋ねられた
root(動詞語根)は?
という声がするような気がする。いまでもSanskritの単語を板書をするとき、学生が理解していてもしてなくても、rootを書くクセが残っている。いま勉強しているノートにも、やはり書いてしまう。
昔から辞書を引くのは早くないが、使い慣れた辞書がエライのは、手にするとちゃんと目当ての単語の近くで頁が開くところだ。いわゆる「手に馴染む」状態なのだが、電子辞書では、この感覚はないだろう。vulgarな文献を読んでいる以上、辞書のブラウズというのも大切な作業で、辞書に載ってないからといって、意味が分からないでは、進まない。どうせ相手はヘンテコな訛りのあるSanskritなので、周囲も見て、当たりをつけておく。
進まねえな、としばらく暗澹としていたのだが、よく考えたら、いま訳している経典は、全文訳すと、学部の卒論一本のネタになるわけだから(というのがわたしが在籍した頃の習慣で、4回生は、最低、なにか梵文の仏典を全部通して読み、それで論文を書くことになっていた)、この程度の速度でも問題ないのだ。こんなものを一晩で全部訳せたら、今頃、印度学の勉強を続けていただろう。そこまで才能がなかったから、別な専門を選んでいるわけで、それほど落ち込むこともなかったと気づいた。
ちなみに、卒論に勧められたのは、出来が悪かったので
そうねえ、短いから、金剛般若経あたりはどうですか
という話だったのだが、結局、PaliのVinayaとちょっとだけPaliと梵文の経典をつまみ食いする形になった。卒論の試問が終わってから、まだ気になるところをせっせとカードに取っていたら
なんだ、卒論書いた後の方が勉強してるじゃないか
と、散々先輩達に笑われた。卒論は3ヶ月かけて書いたが、体重が10kg落ちた。
夜中に梵英辞典を引いていると、先生方に心配ばかり掛けていた頃のことを思い出す。
おまけ。オンラインでもMonier-Williamsは引ける。
Cologne Digital Sanskrit Dictionaries
検索能力が上がっていて、使いやすくなっていた。
京都ハーバード方式(Harverd-Kyoto convention)のテーブルは以下に。
サンスクリット語の文字と発音(デーバナーガリー文字、梵字、ローマ字がき)
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