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2008-06-09

秋葉原通り魔殺傷事件(その5)携帯会社から派遣されていたアルバイトの芸大生がはねられた74歳の元歯科医を救助しようとした時に脇腹を刺されて落命 目撃者の証言

亡くなられた被害者の方々に合掌。けがをされた方々の一日も早いご回復をお祈りします。

昨日の容疑者が極めて卑劣なのは
 後ろから無抵抗の丸腰の市民を刺している
点に尽きる。

掲示板に、恐らく亡くなられた武藤舞さんのことではないかと思われる書き込みがある。
【秋葉原・大量殺傷】 「人を殺すため」 男、歩行者天国にトラック突入&通行人ら刺す…11人ケガ、21歳女性など7人死亡★25スレッドより。昨夜7時半前の書き込みだ。


680 :名無しさん@九周年:2008/06/08(日) 19:28:04 ID:hATBQu1oO
携帯のキャンギャルの人にP906iのパンフ見せてもらいながら説明受けてたらトラックが交差点に突入。

倒れてたおじいさんを助けようと、交差点に走り出したそのキャンギャルの女の子が目の前で…。

マジでトラウマになりそうです……メチャクチャ感じのいいきれいな女の子だった。

娘さんは勇敢だったと家族の方に伝えたい…マジで…。

朝日によると、武藤さんは、昨日、携帯会社からの派遣で秋葉原で働いていたという。


「あまりに突然…」無念の涙
2008年6月9日15時6分

◆21歳武藤さん

 東京芸術大音楽学部の4年生だった武藤舞さん(21)は8日、デジタル専門店ソフマップの携帯電話販売コーナーで働いていた。短期派遣社員だった。路上で仕事中、被害にあったとみられる。

 高校時代の同級生は「友達も多く、クラスのムードメーカーだった」。大学の学友は「音楽も生協の活動も何でもできる人で、頼りにされていた」と話す。

 イベントやコンサートを企画する会社を目指して就職活動をし、複数の会社から内定をもらっていた。研究熱心で成績もよく、凶行に遭う前日の7日夜も、キャンパスで夜遅くまで勉強していた。

 事件現場には9日未明から友人が次々と訪れた。大学の同級生の女性(22)は飲み物を供えてしゃがみ、「あまりに突然でショック。犯人に言いたいことはたくさんあるけれど、口にしたくない」と涙を流していた。

 東京芸術大は9日午前、「優秀な学生が今回の事件で亡くなられたことは断腸の思いであり、深い哀悼の意を表します」とのコメントを出した。

◆74歳中村さん

 この春まで歯科医をしていた中村勝彦さん(74)はパソコン関連の買い物で長男と秋葉原に来ていた。

 妻(74)は「いつもは夫から『一緒に行かないか』と誘われるのに、この日に限っては長男と2人ででかけました。『昼も済ませてくる』と機嫌よく話していました……」。

 専門は矯正歯科。日本大歯学部で講師もしていた。知人らの話では、趣味の写真撮影のために世界を旅していた。今年3月に歯科医を引退後、撮った写真をパソコンで整理していたという。

 妻は「無念としか言いようがありません。やりたいことが、まだ、たくさんあったと思います」と話した。
(以下略)

ソフマップは、容疑者が時速80km以上のスピードでトラックで突っ込んで、3人をはねとばした交差点に面している。事故は武藤舞さんの目の前で起きたのだ。
武藤さんが助けようとしていた「おじいさん」というのが、74歳の中村勝彦さんだろう。歯医者さんなら、お世話になった患者さんもたくさんいたのだろうな。

今も昔も、芸大は、たやすく入学できる大学ではない。
入学するまでも、入学してからも、研鑽を積んでいただろうに。亡くなられたご本人もご遺族もさぞ無念だろう。

致命傷について、読売より。


理不尽な落命…東京芸大生、就職内定もむなし

 突然の凶行で7人が命を奪われた。病院に駆けつけた家族たちは無念の思いを募らせた。


 東京芸術大学音楽学部音楽環境創造科4年生の武藤舞さん(21)は右脇腹を1か所刺され、傷は肝臓まで達していた。搬送先の東京医科歯科大付属病院での懸命の治療にもかかわらず、事件から約4時間後に亡くなった。

 ニュースで武藤さんの名前を見つけ、驚いて現場に駆けつけたという高校の同級生男性(22)は、花束やペットボトルのお茶の前で手を合わせ、「合唱祭でリーダーになるなど、明るい子だった。理不尽な亡くなり方で、とにかく悔しい」と肩を落とした。

 武藤さんは、東京芸術大で環境音楽を専攻し、音響や録音について研究していた。1年生の後半から武藤さんを指導していた亀川徹准教授は9日昼すぎ、「将来はコンサートの企画の仕事を希望し、熱心に就職活動をしていたのに」とがっくりした表情で語った。

 武藤さんは、事件前日の7日は深夜まで実習で学校に残り、亀川准教授に「一つ内定をもらったが、そこに行こうか悩んでいる」と相談したという。9日夕に改めて会う約束をしていたが果たせず、「あの時じっくり話しておきたかった」と無念そうに話した。

 都立日比谷高校時代はオーケストラ部に所属し、バイオリンのパートのまとめ役として活躍。顧問だった岩間輝生教諭(60)は「部活動以外でも、クラスの演劇の中心になるなど、色々なことに挑戦する生徒だった」と振り返った。
(以下略)

おそらく、先ほどの掲示板の書き込みの通り、
 容疑者が運転してきたトラックにはねられた中村さんを助けようとしていた武藤さんを、すれちがいざまor後ろから刺した
のだと思われる。
あまりに酷く、言葉が続かない。

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