運動音痴
子どもの頃から、運動に関してよい思い出はない。
一つには、目が悪い上に、片目が見えてないので、立体視ができず、距離感が取れないのが原因だ。距離を取るのが重要な競技、すなわち、球技一般はどこから球が飛んでくるかよくわからないので、ほとんどダメ。ボウリングは、スパットがあるから、唯一まともにできるスポーツだ。足元の位置を決めて、あとは、球を目的の位置に届くようにスパットを通して投げる。
もう一つは、筋肉痛がひどかったから。そんなに外で遊ばない子どもだったわけじゃないのだけど、小学校で体育が始まると、翌日、歩くのに困るくらい、ひどい筋肉痛に悩まされた。弟もそうだったから、ひょっとしたらそういう疲れやすい体質だったのかも知れない。
筋肉痛とは違うのだが、スキーをした後に
脛のひどい痛み
に悩まされた。北海道は小学校1年からスキー学習がある。内地の人たちが
吹雪だ
という天候でも、スキーを担いで、重いスキー靴を履いて、学校から1kmくらいある、伏見稲荷の近所のスキー場に出かけた。(今はそのスキー場はとっくに住宅地に変わっている)緩斜面が中心で、小学校1-2年で身につける技術である
直滑降、プルークから始まって、斜行プルーク、プルークボーゲン
で滑るのだ。もちろん、その前に
ハの字登坂や安全なスキーの着脱の仕方、安全な転び方
もやる。もっとも、だいたい
谷側に転んで、起きられずにもがく
という羽目に陥るのだが。3年生になると、シュテムクリスチャニア(シュテムボーゲンとは呼ばなかった)が入ってきたような気がするが、なんせ
ボーゲンから上には進まない運動音痴
なので、いつも
ボーゲン組
で滑っていた。スキー学習は習熟度でクラス分けされていて、運動音痴はたいてい6年生まで
ボーゲン組から卒業できない
のである。
今はスキーが軽く細くなってるから、わたしのような運動音痴でも、簡単にターンが出来る、有り難い世の中なのだが、小学校低学年の頃は
木製スキーで、子どものスキーのビンディングはカンダハ
という恐ろしい世の中だったのだ。そうでなくても、運動音痴の子どもに、親が最新モデルのスキーを買い与えることはなく、一番安い木製+カンダハという前世代の組み合わせのスキーを選んだ。まあ、いいスキーを買ってやったとしても、ボーゲンと斜滑降と直滑降しかできないんだから、親としては、投資する気にもならないだろう。緩斜面でのボーゲンなら、すぐに外れるカンダハでも、大した事故にはならない。転んでばかりいるので、カンダハのレバーの下に雪がごっそり固まってくっつき、きっちり締められなくなって、すぐ外れるという悪循環になる。
で、ビンディングも外れやすいのだけど、問題は
身長+15cmの木製スキー板
で、これが重い。重いから、へたくそにはターンが難しい。へたくそがなぜへたくそかというと
体重移動がヘタ
というのに尽きる。重い、幅の広いスキーだと、これが大変に難しいから、全然上達しないのである。
さて、重いスキーにもがいて、家に帰ってくると、夕方から、もの凄く脛が痛くなる。骨がどうかなったのかと思うような、面の痛みで、歩けなくなる。筋肉痛とは違う。
その後も、少し身体に負荷が掛かるような運動をすると、この脛の痛みがやってきた。支えなしだと転んでしまう。半べそをかきながら、壁に手を突いてよろよろと移動していた。
家では、他にこんな痛みを感じる人間がいなかったので
運動不足だからでしょ
で済まされていた。
昨日、finalventさんが紹介していたチューブトレーニングの本が届いた。
山本利春 『チューブトレーニングとリハビリテーション』
だ。この本を買う気になったのは、チューブを使ったリハビリについて書いてあって、インナーマッスルについても解説してあるようだったからだ。
運動音痴で、視力が弱いから、急激な動きを伴う運動はしない。それでも、ある程度筋力は保たないと、生活に支障を来すから、ストレッチなどはする。チューブは、前にフランフランで買った「福箱」に入ってたのがあったのだけど、ちゃんとした使い方がよくわからず、どうかしたいと思っていたのだった。
なるほど、この本は、チューブトレーニングで、どの筋肉にどういった負荷をかけて鍛えるかというのが、系統的にわかりやすく図解されている。一応、目安の運動量は書いてあるけど、リハビリ目的に近いから、それよりも少ない量から始めて見た。やってみると、身体にこんな筋肉があったんだな、というのが改めて感じられる。
で、この本の中に
シンスプリント
という言葉があった。どうやら、わたしの悩まされていた「脛の痛み」はこのシンスプリントだったらしい。アスリートならともかく、体育会の部活動は一切したことがなく、たまにスキー学習や体育大会などで運動した後に悩まされるだけだから、スポーツ障害の一つだなんて考えたこともなかった。長年の疑問が一つ解決した、というだけでも、この本を買った意味はあったというものだ。
25歳を過ぎてから、実は自分の身体は結構丈夫なんだということに気がついた。あれだけ歩くのが苦手だったのに、いつの間にか、多少の距離は気にならなくなっていた。
どうやら、北国育ちで、冬の間、道路に出来た雪の轍や、車道の横に高く積み上げられた雪の山を越えて歩く日常生活で、足腰が自然に鍛えられていたようだ。それと、雪が降り出すと路面が滑るので、滑る道での歩き方や転び方が身についているのも、よく転ぶわたしとしては、よかったみたいだ。人間、何が幸いするか分からない。
今はトレーニングすると割と筋肉が付きやすい身体と言うことも分かってきた。もっとも、生活に必要な筋肉が維持できればいいので、筋トレをするとか、ジムに通うとか、積極的な運動はしてない。しんどい海外調査に行って帰ってくると、しっかり筋肉が付くけど、その後は普段通りの文弱の徒の生活に戻る。
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