奈良県「21世紀の観光戦略」のウソ
いやはや。奈良県が策定した
21世紀の観光戦略
という、実に怪しげなものがあるのは聞いていたが、ここまで
統計でウソ
をついていたのか。
詳しくは、tetsuda_nさんのblog「日々ほぼ好日」の
観光地奈良の勝ち残り戦略(16)「21世紀の観光戦略」が破綻!?
をご一読下さい。
てかさ〜、
奈良に年間500万人の宿泊者を
とかって、本気で考えてるんだったら、今みたいな弥縫策じゃダメでしょう。
で、抜本的に改革できるかっていうと
奈良じゃダメ
ということに気がつくはずだ。
同じ「古都」でも1200年首都を張ってた「京都」と784年の長岡京遷都以降はほとんど「昔都だったところ」でしかなくなってしまった「奈良」
では、街自体の自力が違う。
京都は、100人観光客がいれば百様の対応ができるが、奈良はそれがないもんな。
食べ物にしたって「奈良にうまい店がある」とかいうけど、本当に一流の、どこに出しても、遜色のない店というのがあるのか、甚だ疑問。とある、値段も敷居も高い有名店で、6月に塩漬けイクラが出てきたときはぶっ飛んだ。京都でそんな荒い商売してたら、あっという間に潰れまっせ。
宿泊客を増やすといっても、奈良には、
夜の楽しみ
が乏しい。五花街を筆頭に、ご予算と好みに合わせて、男女を問わず、さまざまに遊べる京都と比べるのもおこがましいくらいだ。10年奈良にいても、飲みに行きたい、って思う店がそうそうないもんなあ。京都だったら、どこならどこの店、こんなんしたかったらここの店、と指を折って数えることは難しくない。
「古都」で括られてるから、京都に対抗できると勘違いしてるのかも知れないけど、奈良は観光地としてのソフトウェアは、お世辞にも整っているとは言えない。今でも思い出すのはまだ学生だった頃に母を連れて奈良観光に出かけたときに遭遇した
奈良交通の定期観光バスに組み込まれていた店の昼食のまずさ
である。その当時でも、どんな田舎の観光バスなんだ、と思うくらい遅れた対応だった。さすがに最近は多少はマシになっているのだろうが、あれ以来、決して奈良の観光客向けの土産物屋兼食事どころには足を向けなくなった。奈良になにがいちばん欠落しているかと言えば
もてなしの精神
だろう。
田舎に行くと
ご飯を食べて行きなさい
と、その家の普段食べている食事を無理強いに近い感じで出されることがある。それは、田舎流のもてなしなのだが、奈良観光にはそれに近い匂いを感じる。
自分たちが満足してるから、客も満足するだろう
という、ちょっと中華思想めいた考え方である。洗練されているとは言い難い。
ニーズに応える
という一番簡単かつ重要なことが、奈良観光のソフトウェアには組み込まれてないように感じる。
先日、奈良に宿泊する観光客を増やすために
八十八寺とか八十八神社とか
ともかく、スタンプラリーみたいなことを真面目に提案していたのをニュースで見たが、ポケモンじゃあるまいし、今時、由緒もなにもない、
観光のための見え透いた寺社セット
に、観光客を振り向かせるには、よほど
御利益
がなければならない。そんなことは、全然考えてなさそうな提案だった。きっと
奈良の寺社は有り難いものだと、全国の観光客が思っているから、八十八挙げてやれば、大量の観光客がお遍路さんよろしく奈良県内で宿泊して、何日も掛けて回ってくれる
と、実におめでたい、われ褒めの発想が元になっているのではないか。要は
大仏商法
と変わらない。これでは全くダメだ。ほんとに奈良県の行政って
奈良県の観光資源の自己評価では「謙虚さ」が欠落している
もんな〜。
そういえば、この間、奈良博の常設展の方に企画展示があって
信貴山縁起絵巻(飛び倉)とか天寿国繍帳とか、京博や東博の企画展ならそれだけで目玉になる作品
が、大した煽りキャプションもなく、ひっそり展示されていた。
余りにも控えめなプレゼン
で、残念だったな〜。こうした
本当に価値のあるものをもっと大々的にうまく宣伝
して、集客する方が、よほど大事だろうに。ホンモノには、力がある。
そう言う意味では、
奈良のもてなし
は、まだまだ紛い物という印象がぬぐえない。奈良の方が人気(じんき)は京都より遙かにいいと思うけれども、人にお金を出させて、楽しませる技術に関しては、京都の足元にも及ばないのが現状だ。懐の深さでは、京都はある意味恐ろしい。実は歴史の古さに関する誇りは、奈良の人の方が京都人よりよほど高くて、奈良で一軒家に住むと、ヨソから来た人は、京都で一軒家に住むよりも、もっとエライ目に遭うと聞いている。千年以上の都と、遷都後は田舎になっていった古い町の心性の違いが、変な形で噴出するんだとか。京都は
新しもん好きの風土
も持ち合わせた、柔軟なところがある。古くて新しいのが京都の特徴だ。だからこそ、1200年もやってこられた訳なのだが、そういった幅の持ちよう、もっと言えば都会人らしい対処は、奈良ではちょっと難しい。多分に「見識を磨く」という訓練の問題ではないかと思っている。子どもの頃から「ええもん」に常に触れさせることで、京都人の目は肥えていく。で、その「ええもん」が、「前の戦争=応仁の乱」でみんな焼けてしもて、うちにはなあんにもあらしません、という家の蔵にある自前のもんだったりするわけだ。
わたしが家庭教師のアルバイトをしていた家では、
親が働いていて、躾けに目が届きませんので
という理由で、大学の先生をしておられた母上は、娘に仕舞を習わせていた。一度、
発表会がありますので、見に来てください
と呼ばれていったら、当たり前ではあるのだが、立派な能舞台が会場だった。地域のホールでピアノの発表会というのとは大分様相が異なるのだ。でも、この家は、ご近所からは
あそこな、京都の人と違う、明治の時に滋賀から出てきたおうちなんえ
という扱いだったりするのである。
京都人の
へえ
という返事の怖さが分かっていると、うっかりものも言われなくなるのだが、そうした「怖さ」を奈良では寺社を離れると余り感じないのは、奈良の人の人の良さによるものではあるが、そこが奈良の弱点にもなっている。
奈良には奈良晒はあるけど、西陣はないからな。突き抜けた贅沢が庶民にない町は、どうしてもちんまりしてしまう。京都にはまだ祇園祭の豪奢を惜しみなく人々に分け与える度量の広さがある。住んでるとしんどい町やけどな、京都は。住んでる時のしんどさと、祇園祭を続けようとする力とは、表裏一体のものだ。京都では「よお気張ってはるわ」は褒め言葉だ。
花街の話ではあるが、以前、祇園では、お座敷で
そんな不細工なことおやめやす
といわれたら、舞妓は泣いて帰らないといけないくらい、恥ずかしいこととされていた。ともすると、わざと「不細工」にすることで「親しみ」を生もうとする、大阪などでは普通の行き方は、京都では歓迎されなかったし、そうした日々の生活に流れるある種緊張感を伴うストイックな美意識が京都人の背骨には通っている。それは、短時日に真似しおおせるものではない。京都を訪れる人の何割かは知らず知らず、京都人のそうした勁さに魅せられているのだろう。
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コメント
足元が偽装だらけの国交省による大本営発表、ですかね。
財務省のほうがまだマシな数値が出るような気がします。
投稿: wiskij(横田) | 2008-07-29 09:14