京大生はもともと就職に強くない
いや〜、最近の京大生は本当になんとも凄いことになってますな。
没落エリートの出現—ビジネス社会から疎外される高学歴就職難民たちー
ネタかも知れないけど、一応釣られておく。
京大は全然就職に強くない。男子学生もそうだけど、女子学生はもっとヒドイ。
就職に強い大学が望みだったなら、ま、京大には行かないことです。同じ程度の入試レベルでもっと就職に強い大学はいくらでもあるでしょう。
最近は京大も危機感を持ちだして、いろんな啓蒙活動を学生にしてるけど、京大の学風って、元々
実業のための大学
じゃなかったじゃん。そういうエッセンスが詰まってる、というか
三高の遺風を継ぐ
のが総人なわけで。上記のblogを書いてる人物は総人の学生だそうだけどな。
当然、学内の他学部の総人の学生を見る目も、今でも結構微妙な部分があるだろうなあ。京大に限らず、
所謂「教養」を「学部に格上げ」
した日本中の大学で、教員と学生の双方が苦しむ問題にもなっている。京大はまだいい方で、もっと凄い話は旧帝の某大学で実際に見聞きして愕然としたことがある。それが5年くらい前だし、改善されたという噂は聞かないから、いまはたぶん更に凄いことになっているだろう。
どこかの大学がエリート大学かどうかっていうのは、大学の中身によって決まることであって、それと就職とは実はあんまり関係ない。卒業して就職する学生は、大学に残って大学の声望を支える中身を作る人材じゃないから、大学側からすると、もっと関係ない。もっとも、入試が難しいのに、就職がよくないと、あちこちから
賢い学生をアホにする大学
と非難されるから、そこは多少フォローしましょう、というのが、最近の京大の行き方のようである。昔はもっと冷たかった。
ついでにいうと
就職試験の難しさと仕事の「ランク」
も、実は関係ない。
マスコミの就職試験は相変わらず高倍率なので
倍率が高いところに合格したら自分はエライ
という勘違いがまかり通っているようだけれども、それは
努力したら報われないのはオカシイ、努力は全部報われるはずだ
という
公文式などに代表される「ごほうびシステム」の弊害
である。そりゃ、公文式でランクが上がると嬉しいだろうけど、結局の所、
難しい芸ができたら、エサをやって、モチベーションを上げる
という、動物の調教と変わらない。小学生ならともかく、二十歳過ぎても
努力したらご褒美くれないとヤダ
というのは、困ったものである。
大人の世界は、努力してもご褒美は滅多に貰えない
のが通常だろう。
そういや、結構エライNHKの中の人が、NHK就職スレッドを読んで
そんなに佐賀に行くのがイヤなら、さっさと内定辞退しろ、そんな奴に協会に入られても、現場に迷惑が掛かる
と大分怒ってたな。ま、マスコミというのは
ともかく現場第一
だから、自分がエリートだと勘違いしている、空気の読めない奴は来て貰っても困るだけ、というのはよく分かる。マスコミはネタをいただく立場だからね。
就職したいというのは大人の世界に入ることだから、門前で断られるのは
こいつは「大人」としてやっていく器量が足りない
と見透かされているからだと思う。そりゃ、一部
京大の女なんて生意気だから絶対に採用しない
と思ってる学歴コンプレックスに呪縛された、気の毒な人事担当者もいるだろうけど、ここまで少子化が進むと、そんなことは言ってられない。「京大」で落ちるのではなく、「社会人としての適性がなさそうだ」と見切られているというのが、ホントのとこじゃないのかな。
だいたい
京大に入学したくらいで、親を奴隷のようにこき使う新入生
というのが、入学式の時期には左京区内で毎年のように見られる。大学を卒業してもいないのに、そんなにエライのか、と知り合いの喫茶店主に聞かれて、答えに窮した。
遠足は家に帰るまでが遠足ですよ
というのと同様
大学は卒業するまでは「在籍してるだけ」
だ。ま、
難しい大学に入ったのは人生の勝利者だ
という、これまた間違った刷り込みをされた結果で、多分にその親もその刷り込みに荷担しているだろう。
世間とは縁遠いといわれる京大においても、最近は
社会への貢献
がうるさくチェックされるようになってきていると聞く。わたしの恩師のお一人は
世界に冠たる「伝統芸」の継承者
として、名高い研究者であることを自認しておられるが、そうした「伝統芸」は、大学から追いやられていっているのが、現状である。恩師もあと数年で退休されるので、京大の誇った「伝統芸」が今後どうなっていくのかは知らない。その上、恩師はCOEには一切関わらない研究者である。もう、そういうことを許して貰えるほど、大学に余裕はなくなってきているだろうな。
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