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2008-11-15

驚愕! 二階俊博経産相のママが女子医専卒の医師だった件

あらま、びっくり。
二階俊博経産相のサイトにこんな記事が。


新風会報(昭和58年10月)

サンデー訪問記
女医 二階菊枝 女史

 「わたし、この十一月で満八十五歳になるのですよ…ほんとですよ。だって明治三十二年生まれですもの…」  初対面とは思えぬくらい和やかに親しく話してくれる。故二階俊太郎元県会議員夫人(御坊市御坊一九〇)二階俊博氏の母親、二階菊枝さんを訪ねた。
 大正十二年十二月に東京女子医学専門学校を卒業。翌年三月から御坊市新町で医院を開業した。「すべての人に真心で接する人ですね」と菊枝さんを語る通り女医としては厳しく、そして害しく大勢の人々を励まし救って来た。のちに御坊保健所を経て湯浅保健所に勤務、二年前に惜しまれながら退職した。永い間仕事に情熱を傾けた菊枝さんは、昭和五十六年仮谷知事から表彰されている。
 菊枝さんの信条は「至誠」。実家は十何代も続いた医業という家庭に生まれ、医師だった尊父の教えは「人のためになって死ぬこと」 この言葉がいつも頭の中にあり、十二人兄妹の五番目に生まれた菊枝女史は、小学校の教員をしていたある日「大勢の子ども居るのにお父さんのあとを継いでくれる子どもは居ないのかなあ」と嘆かれたお母さんの言葉に一念発起。東京の学校へと進んだという。それ故に今後も「病む人々を一人でも多く慰めてあげたい…病気というものは気持ちの持ちようで左右されることが多い、くよくよせず何事にも前向きの姿勢で生きることが大切である」と言われる。
(以下略)
(紀州新聞に7月17日掲載)

大正13(1924)年に開業して、昭和55(1980)年まで現役医師ですか。
明治32(1899)年生まれとのことであるから、81歳まで地域医療を続けた、ってことね。
で、ご実家が
 十数代続いた医師の家柄
だそうで、ということは
 二階俊博経産相の母方には、「江戸時代の医師のエピソード」が山のように詰まっている
って話ですか。

いろんな意味で、考えさせられるエピソードですね。

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コメント

> 十数代続いた医師の家柄だそうで、ということは二階俊博経産相の母方に
> は、「江戸時代の医師のエピソード」が山のように詰まっているって話ですか。

大学の同級生に武田家に仕えた医家の家系で、徳川家康が駿府に居を構え
るにあたり、駿府に住むようになり、以来、ず-----っと医師(御殿医)だったという
のがいました。二階大臣の母上は紀州徳川家の開祖・頼宣が連れてきた医師
の家系という可能性もありますね。

それにしても、紀勢西線(和歌山市から南部)が開通したのが1924年(大正13年)
2月28日ですから、鉄道が敷かれる前から開業していたんですね。

投稿: tera2005 | 2008-11-15 13:00

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