現説 馬場南遺跡@1/17 京都府木津川市
昨日は、
馬場南遺跡の現説
だった。馬場南遺跡は
1. 「あきはぎの」という万葉歌木簡が出土
2. 大量の灯明皿を水に面した場所に投棄
3. 斜面の中腹に、三彩の須弥山を置き、四面に塑像の四天王を配した本堂
4. 「神尾/神雄寺」という墨書土器が見つかるが、史書に見えない寺名
という
奈良時代中〜後期の謎の寺院遺跡
だ。
木津川市役所から現地までのシャトルバス。
市役所内では遺物の展示。
水に面した6か所に、まとめて灯明皿が大量に廃棄される。
京都府埋蔵文化財センターで発掘を担当された松尾さんのお話では、
皿と皿の間に木の葉や泥が挟まっているので、一時に廃棄されたものではないだろう
とのこと。
この灯明皿には、通常出土する灯明皿よりもかなり大きなものがあり、どういう使い方がされていたのか興味を引く。
本堂に行く途中にある掘っ立て柱建物。
画面後方の1列に3本の柱が残っている。
山の中腹(現状山林)にある本堂部分。
心礎と外側の礎石の間になぜか
瓦が落ちている
状態で発掘されている。普通は
一番外側の礎石の外に瓦が落ちる
筈だが、謎。
万葉歌木簡の出土地点。
木簡も展示されていたが
裏はまだ読めてないので公表してない
という話。裏は削られている訳ではないとのこと。
で、
神尾/神雄寺
なんだけど、
瓦はそれほど出土してない
ってことで、
総瓦葺きではないのではないか
と、現地では見ているようだ。軒先だけ、瓦で化粧していたのかな?
三彩は、この当時、使用できる身分に制限があっただろうから、
三彩で須弥山を作っても大丈夫な寺
というと、発願した人物は限られるだろう。
木津というと
橘諸兄
の故地だけど、近くにある橘諸兄の氏寺・井手寺との関係は不明。
四天王塑像は、ほぼ決められた方位に四体の破片が散らばっているので、方位ごとに破片を拾っているところだそうだ。塑像は粘土像だが、本堂が焼けたために粘土も焼け、現代に残った。
本堂に祭られていた「中尊」は不明。可能性としては
1. 火災の際に持ち出された
2. 火災で焼失
の二つで、焼失したとすれば
木像や乾漆像など燃えやすく、後が残らない素材の像
だ。塑像の四天王を従えている辺りからすると、中尊は、金属の像ではなかったかも知れない。
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