« 忍び寄る鳥インフルエンザ 1月26日、広西省壮族自治区北流市で19歳男性がH5N1型高病原性鳥インフルエンザに感染して死亡 今年5例目の死者 | トップページ | 手首を痛める »

2009-01-27

梶井基次郎『檸檬』の舞台の一つ「八百卯」が閉店

寺町二条角の青果店
 八百卯
といえば
 梶井基次郎『檸檬』の舞台の一つ
だ。以前、寺町二条に東方書店があった頃は、本屋帰りに寄ったりもした。寮にいる頃は、寮生と一緒に出かけて、二階のフルーツパーラーで、ちょっと余所にない変わったメニューを注文したりした。下の青果店はともかく、上のフルーツパーラーは半分道楽でやっているとかで、学生でもたまには寄れる程度の、割と良心的な値段だった。
覚えているのは
 フルーツサンドと無花果パフェ(季節限定)
だったかな? 店主とおぼしき男性が一人で、黙々と作ってくれたのがまだ目に浮かぶ。
階下の青果店には、かつて
 中京のいけずな京美人
を絵に描いたようなおばさんがいて、京都の怖さを、うっかり果物を買いに来た余所者に思い知らせていた。さすがにもう生きてはいまい。

で、その八百卯が閉店してしまった。
京都新聞より。


中京、「檸檬」の果物店閉まる 梶井基次郎の小説 4代目急逝で

静かに創業130年の歴史に幕を下ろした八百卯。小説「檸檬」の舞台として親しまれた(京都市中京区)

 梶井基次郎(1901−32年)の小説「檸檬(れもん)」の舞台として知られる京都市中京区寺町通二条角の果物店八百卯(やおう)が26日までに、店を閉めた。もう一つの舞台だった書店はすでになく、多くの文学ファンに親しまれた京都の「名所」がまた一つ姿を消した。

 八百卯は1879(明治12)年の創業。梶井基次郎が1925年に発表した「檸檬」で、主人公が三条通にあった丸善・旧京都店の書棚に、爆弾に見立て置き去ったレモンを買い求めた店として知られる。後に同区河原町通蛸薬師上ルに移転した丸善(京都河原町店)は、2005年に閉店している。

 八百卯関係者によると昨年10月、4代目の店主村井義弘さんが63歳で急逝し、創業130年の歴史に幕を下ろすことになったという。

 シャッターが下ろされた店先では、道行く人たちが閉店を知らせる小さな張り紙に驚いたように足を止め、名残を惜しんだ。店を手伝ってきた親族は「檸檬の店と、長い間、大事にして頂いてありがたかった。本当に残念です」と話した。

 「そこは決して立派な店ではなかったのだが、果物屋固有の美しさが最も露骨に感ぜられた。」(梶井基次郎「檸檬」より)

フルーツパーラーをやってたのは、この四代目だったのか、それとも先代だったのか。息子さん、と聞いたような気がするから、四代目だったのかな?

かつてまだ丸善が河原町に健在だった頃、八百卯に檸檬を買いに来て
 丸善はどこですか
と聞く、酔狂な人がたくさんいたとか。たぶん、丸善に檸檬を置きに行ったのだろう。丸善にしてみれば、迷惑な話である。
その丸善もなくなり、八百卯も閉店してしまった。これで
 檸檬ごっこ
もできなくなったわけで、まあ、それはそれで結構なことかも知れない。

寺町二条界隈には最近、全然足を向けてないな。うろうろすると、結構、面白いところなのだが。
寺町御池まで下がって、亀屋良永で御池煎餅を買って帰るのが、一つの楽しみだった時期がある。いまは、御池煎餅は、割とどこにでも売ってるからな。それでも、古い店の黒い引き戸を開けて、御池煎餅を求めるのは、京都に住んでいる楽しさの一つではあった。亀屋良永も長いこと行ってないな。
御池煎餅が好物であるのは、変わらない。

|

« 忍び寄る鳥インフルエンザ 1月26日、広西省壮族自治区北流市で19歳男性がH5N1型高病原性鳥インフルエンザに感染して死亡 今年5例目の死者 | トップページ | 手首を痛める »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 梶井基次郎『檸檬』の舞台の一つ「八百卯」が閉店:

« 忍び寄る鳥インフルエンザ 1月26日、広西省壮族自治区北流市で19歳男性がH5N1型高病原性鳥インフルエンザに感染して死亡 今年5例目の死者 | トップページ | 手首を痛める »