本屋の魂 北京・珍本書店
古中先生のblog「古代中国箚記」の
珍本書店
という記事で、北京で以前、機関服務の専門書店だった珍本書店が個人向けに書物の販売を始めたと教えられた。
珍本書店(中国語簡体字)
機関服務の専門書店となると、入手しづらい書物を持っていたり、特別なルートで探求書を見つけてくれたりする特技をもっていたりする。
試しに、4冊ほど注文をしてみた。
すると、昨日
ご注文の書籍の内、『新安医籍文献学研究』は当店の在庫にもなく、またあちこちに問い合わせてお探ししましたが、手に入りませんでした。
他の3部の書籍については、すでにございますが、これだけ先に発送しましょうか、ご指示を願います。
というメールが来た。
ないのなら仕方がない。
3部だけ送って下さい。お手数をおかけしました。
と返事を書いた。
すると、今朝
著者の手持ちの分を入手できましたので、お送りします。
他の3部の書籍は、先に発送するつもりでしたが、一緒に届くかと存じます。
という新しいメールが来た。
著者の手持ち分を入手
って、凄いぜ、珍本書店。出版社が手持ちの分を売ってくれることはあっても
一介の本屋が、著者手持ち分を分けて貰うことができる
というのは
北京の書店文化のなせる技
かも知れない。日本では専門書を扱う本屋のオヤジは必ずしも教養人ではないが、
北京の専門書を扱う本屋のオヤジは教養人
なのである。知り合いの本屋の会長が、以前、北京で本の買い付けに行って、その辺りで往生した、という話を聞いたことがある。
筆で流麗な文字を書くのは当然
であり、
古典の教養を始めとして、古籍・書画の鑑定や文房四宝や茶についても一家言あるのが「本屋のオヤジの教養の範囲」
なのだそうだ。
いや〜、何だかんだと批判の多い「拝金主義に堕した最近の中国」ではあるが、
まだまだ愛すべき、読書人の伝統は根強く残っている
と見た。北京だからかも知れないが、敬服いたしました。
むしろ、こうした
本屋の魂
ともいうべきものは、日本の本屋からの方が、失われつつあるのかも知れない。
おまけ。
戦前の中国語教科書である
傅芸子『支那語會話篇』弘文堂書房 昭和13年
を、北京人が録音したテープを大学の先輩から贈られ、それを正月にデジタル化した。
ちょうど、第24課が本屋での会話だった。
内容はこちらに。
2007-06-15 傅芸子(ふうんし)著倉石武四郎識『支那語会話篇』弘文堂1938
http://iori3.cocolog-nifty.com/tenkannichijo/2007/06/1938_bc6b.html
テープをくださった先輩にデジタル化したデータを差し上げたいのだが、問題は、先輩は恐らくほとんどコンピュータを活用されてないということだ。さて、音声ファイルをどうしたものか。
それと、録音データは長いままの音声ファイルなので、各課ごとに区切って編集し直そうと思って、
Audacity 1.3.7.1
をダウンロードしたのまではいいけど、使い方がよく分らず、各課ごとにファイルを分割できない。一番簡単な操作なんだろうけど。ビデオ編集は出来るのに、音声編集ができないのは相当間抜け。
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