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2009-02-11

叔父が亡くなる

癌と闘っていた叔父が今朝方亡くなったと、母から電話があった。古稀を越えてはいたが、後期高齢者ではない。まだ向こうに逝くのはちょっと早い。
祖母が言うには、月足らずで生まれ、育つかどうか心配だった、と。祖母は、叔父が50歳を過ぎても、
 あの子はちっちゃくてね、弱かったから、心配で心配で
という話を繰り返した。NICUなんてない時代、しかも冬の北海道の話だ。祖母は体温が下がりがちな小さい赤ちゃんを必死に温めて育てた。2月早かったというから、当時の医学水準から考えると、助かっただけでも奇蹟だ。
叔父は菓子屋の四代目の中で、ただ一人、菓子を扱う仕事に就いた。生家の方は、戦前の砂糖の統制で菓子屋は止めてしまった。だから、叔父は道内の大手の菓子会社に入った。釧路で、がんばっていたのだが、事情があり、その後は、札幌で苦労を重ねた。
菓子屋の職業病という訳ではないのだが、曾祖父や祖母と同じく、叔父も糖尿病を患っていた。子どもの頃に耳を悪くしていて、中年を過ぎてから、聞こえが落ち、老いるに従って、日常会話が相当にしんどくなった。
糖尿病の治療で、長いこと地元の大学病院に通っていたのだが、2年ほど前から腹部に違和感を覚えるようになった。診察の際に、主治医に訴えたようなのだが、叔父の聴覚に問題があったせいもあるだろう、叔父の訴えはうまく伝わらなかった。そのまま時間が過ぎ、どうもおかしいというので調べたら、肝臓に癌が転移していた。元は膵臓癌だった。
70歳を過ぎた叔父の治療に残された選択は、化学療法だけだった。医師の友人達に問い合わせてみたところ、叔父の予後について、忌憚なく教えてくれた。去年の晩夏のことだった。1週間泣いて、一応の覚悟は決めた。その後は、叔父と電話で会話するのは聴力の関係で難しいこともあり、叔父を支える高齢の兄弟姉妹達が動揺しないよう、叔父の妹である叔母などに、言葉を選びながら、時々電話でサポートした。
今年に入ってから、先週だったか
 叔父ちゃん、最近食べられなくてね
という話を聞いたばかりだったのだが、まさか今日向こうに逝ってしまうとは思っていなかった。

叔父は、車の運転が大好きで、
 良くなったら、ドライブに出かけたい
と言っていたようだ。叔父は、ドライブできる日を楽しみに、辛い治療に耐えていた。
叔父の妹に当たる叔母から、叔父がドライブに行きたがっている、というを聞いて
 ドライブするなら、雪道は危ないから、春だね
と言っていたのだが、春の雪解けを待たずに、叔父は逝ってしまった。
子どもの頃、叔父達は、よくドライブに連れて行ってくれた。中山峠の旧道など、道路の整備がよくなかった北海道の山道を走った。そのおかげで、海外調査でどんなひどい道をドライブしていても、全く苦にならない。悪路のダメージを受けないように乗る訓練が、自然に出来ていたらしい。叔父には感謝している。

葬儀は、生家で、身内だけで行う。

叔父は、父の兄弟の中で、一番博才があった。また、どんな競技でも、そつなくこなせる器用さがあった。
時々、麻雀をするのを横で見ていたのだが、強いというのは、ああいうものなのだな、と感心した。引きが強いし、手作りがうまい。負けない。降りるときは、一番損の少ない降り方をする。

博才に関しては、こんなエピソードがある。
釧路にいた頃、港町にはつきもののヤクザの親分が、麻雀が強いと聞きつけて、卓を囲みたいと、叔父を呼びつけたらしい。叔父は、いわゆる「天然」なところがあって、
 来い、っていうから、おじちゃん、行ったんだわ
だそうだ。で、
 スボン皺になるからさ、脱いで横に畳んで、アグラかいたんだ
という。叔父にしてみれば、ズボンを皺だらけにして叔母に怒られるのがイヤだった、という辺りで、実に自然なことだ。ところが、ヤクザの親分の方は、素人にしては妙に肚の据わった叔父に気圧されたらしい。
叔父は負けもせず、無事に帰ってきた。

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コメント

いつも読ませていただいています。叔父様のご冥福をお祈りいたします。
自分の覚悟が出来ていても、知り合いや親戚が死ぬのは悲しいことです。安らかにお眠り下さい。私の知り合いもここ1ヶ月で3人も亡くなりました。

投稿: 一産婦人科 | 2009-02-11 17:20

一産婦人科先生、どうもありがとうございます。
親しい方を亡くされて、先生もお辛いことでしょう。どうかお疲れの出ませんように。

投稿: iori3 | 2009-02-11 17:32

ご冥福をお祈り申し上げます。
私も一昨年伯母、昨年伯父を亡くしました。
身内の死はやはりさみしいものですね。

投稿: REX | 2009-02-11 20:18

REX先生、ありがとうございます。
業平ではありませんが
 つひに行く道とはかねて聞きしかど昨日今日とは思はざりしを
と、しみじみ思います。

投稿: iori3 | 2009-02-12 00:30

そうだったのですか.謹んで哀悼の意を表します.

現在首都圏在住ですが,道央・道南には何度も仕事で行き,しばしば車で中山峠を越えました.気が向けばダートの旧道を抜けたものです(というよりむしろその方が多い←当時はなんと時間に余裕のある仕事だったのでしょう).

http://map.yahoo.co.jp/pl?type=scroll&lat=42.88254519&lon=141.12249338

ある意味「趣味」でそういう道を越えていたわたし(現在はとてもそんなことはできませんが)と,たった一つの悪路峠以外の選択肢がなかった当時の人々の差は,そこを通るたびに思い知らされます.旧峠のみならず,旧隧道もなかなかスゴいものがありますよね.

投稿: あがたし | 2009-02-12 17:36

あがたしさん、ありがとうございます。
中山峠の旧道は好きな道です。別な叔父が中山峠で仕事をしていたので、よく揚げ芋を買ってきてくれました。
北海道の道は、雪道になるとまた違った危険度が増しますので、ただ車に乗ってるだけでも、身体が学習しますね。

投稿: iori3 | 2009-02-13 00:05

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