華陀とQOL@『三国志』華陀伝
病はある。
しかし、手術をしてもしなくても、予後は変わらない。
検査技術が発達している現代では、命には関わらないが、身体を不快にする病が見つかることがある。手術をすれば、その病が取り除かれるけれども、身体に負担を掛けてまで手術をする必要があるのか。
ありがちな話なのだが、『三国志』の華陀伝にこんな話がある。
又有一士大夫不快、佗云、「君病深、當破腹取。然君壽亦不過十年、病不能殺君、忍病十歳、壽倶當盡、不足故自刳裂。」士大夫不耐痛癢、必欲除之。佗遂下手、所患尋差、十年竟死。(また士大夫で気分が優れない者がいた。華陀は言った。「あなたの病気は深い部分にあって、開腹して取らなくてはなりません。しかしながら、あなたの寿命もやはりあと十年ほどで、この病気が原因で死ぬことはなく、病気を十年辛抱すれば、寿命もちょうど尽きるはずですのに、わざわざ身体をかっさばくこともありますまい。」と。士大夫は痛みに耐えかねて、どうしても切除してほしい、と頼んだ。華陀はそこで手術を行い、苦痛はすぐに癒えたが、十年して結局その士大夫は亡くなった。)
華陀は「麻沸散」という麻酔薬を用いて、外科手術を行った、と『三国志』には書かれている。
その真偽は措くとしても、
しんどい治療を行って、病気を根本から取り除いても、寿命は変わらない
という問題に、今から1800年前の医療従事者が直面していたエピソードは興味深い。
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コメント
>士大夫は痛みに耐えかねて
>華陀はそこで手術を行い、苦痛はすぐに癒えた
痛みがあって、治療で落ち着いたのなら、10年分の治療の意味があったと思います。
10年苦しむか、3年で寿命が終わるかの選択であっても、私なら考えてしまうと思います。
QALYs(Quality Adjusted Life Years)というのは、客観的には決め難いものだろうと思います。
医療というのも限界があるようなないようなですが、それほど速く進歩する必要があるのかないのか?
人生という儚い時間の過ごし方を考えてしまいます。
諸行無常
投稿: Med_Law | 2009-02-01 22:34