東大寺二月堂修二会(しゅにえ=お水取り)初日@3/1
三月一日。
東大寺二月堂修二会の初日。
今年は日曜日に当たったので、少し早めに家を出る。
さすがに歩く人が多い。
二月堂までは、慣れた道になった。身体が憶えている。
階段下に行ってみると、まだ閉鎖されていなかったので、一瞬躊躇ったが、二月堂まで上がった。
手水で手や口を清めて、二月堂の正面に行き、お参りを済ませると、中から差懸(さしかけ 練行衆が二月堂内で履く特殊な下駄の一種)のカタカタ鳴る音がする。よく見ると、修二会中は、ほとんど拝見することができない内陣が見えていて
壇供(だんぐ)積み
をしているところだった。壇供とは、二七日の修二会の上七日・下七日の二回供え替えられる平たい鏡餅で、壇供積みの前に童子の方達が搗きあげる。一度に1000面の壇供が必要なので、搗く量も半端ではない。
壇供搗きについては、朝日奈良版に記事があった。
壇供 千面一気に仕上げ 2009年02月25日
この大量の壇供を、初夜の行の前の1時間足らずの短い時間で、内陣の四面にお供えするために所定の形に美しく積み上げる。壇供が積み上がったら、練行衆が作った
椿の造花
を生の椿の枝につけた
供華(くげ)
を飾り、内陣を掃き清める。
薄暗い中での作業なので、手燭が必要なのだが、21世紀の手燭はLEDライトのようで、青白い光が外陣にときどき見えた。
堂内には、燈明がともり、油の燃える匂いと薄い煙が、外陣の外側にある一般聴聞者の席「局」やその外にも漂っている。この匂いこそが「修二会」の始まりを感じさせる。
これら壇供積みなどの作業も含めて、すべて行われることは、修二会の本行であり、二月堂内撮影厳禁と大きな字で書いてあるんだけど、一人が撮影を始めると、どうしても我慢が出来なくなるようで、どうみても50歳を過ぎたいい大人が、何人も、ビデオを撮影したり、携帯で写真を撮ったりと、やりたい放題。たぶん、団塊の世代のオヤジだろうと思う。その内、動画サイトに投稿にでもするんじゃなかろうか。まあ、50年以上生きていて、大きな字で書いてある日本語が読めない日本人のやることだ。神社の撮影厳禁の神事で同じことをやると、たぶんつまみ出されるだろうけど。こういうヒトは世界中どこへ行っても同じことをやるんだろうなあ。注意されると、
わざわざ金を出して来てるんだから、何やってもいいだろう
と言うに決まっている。
二月堂の正面の柱の辺りから拝見していたのだが、目の前にいた局の一番外側にいたおばちゃんがフラッシュを焚いたので、さすがにこれは声を掛けた。60は過ぎていたようだから、デジカメをもってきたはいいけど、フラッシュ解除ができないか、そんなところだろうと思う。関東のヒトのようだった。一緒に来ていたらしい、もう一人のおばさんが
あなた、撮影厳禁って書いてあるわよ
と注意してたけど、
あら、あっちの人たちだってやってるわよ
と、あまり意に介してないご様子であった。南無〜。
壇供積みにはかなり時間がかかり、終わったのは、夜7時になろうかという頃合い。
二月堂に上がって、上で松明を待つ人たちには、警備の方達が
お松明を持つ童子の方がフラッシュを浴びると、目がくらんで危険なので、絶対にフラッシュを焚かないで下さい
など、基本的な注意事項を再三伝えている。普段上がるお松明の重さは40kg。12日に上がる籠松明は70kgもある。燃えさかる重い松明を持つ童子の方の目がフラッシュでくらむようなことがあれば、危険きわまりない。
夜7時前後に
三度の案内
があった。二月堂のすぐ外にいるので、声がよく聞こえる。
ほどなく今年の「お松明」が始まる。
二月堂で拝見するお松明は、なにより、パチパチと燃えさかる音であり、もうもうと立ちこめる煙の匂いであり、炎の熱気である。
今宵は、局で聴聞するための準備をしてこなかったので、早々に引き上げる。
若狭から水を送られてくる若狭井を覆う閼伽井屋の回りには葉の付いた木の枝が差し掛けられている。今はまだ去年のままで、葉が枯れて赤くなった状態。
降りていくと、バスの赤いテールランプが目に留まった。いや、これ、何台あるんだろう?
いくら日曜とはいえ、初日からこんなに来てるの?
この分で行くと、今年の修二会は、凄いことになりそうだ。
おまけ。「さんまる」さんの実に詳細な修二会紹介。
東大寺修二会
これから参拝される方は是非ご一読を。
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