マイケル・ジャクソンを待っていた頃
マイケル・ジャクソンがジャクソン5で歌っていた頃、日本中の子ども達は、彼を身近に感じていた。
日本のテレビを始めとするマスコミは、マイケル・ジャクソンを
ジャクソン坊や
として扱っていた。ジャクソン5のリードボーカルにして、当時3つ年齢を低く誤魔化されていたマイケル・ジャクソンは、日本の子ども達にとってもアイドルだった。美しい澄んだハイトーンの声が、マイケルの特徴だった。
小さな子どもだったマイケルは徐々に少年へと成長していく。やがてそのハイトーンの声が永遠に失われてしまうことを、大人も子どもも知っていた。
"BENのテーマ"の後、あまり日本のテレビ映像ではマイケルを見掛けなくなった。
わたしたち子どもはその理由を知っていた。
マイケルは声変わりの時期に入った
と。変声期を抜け、成長したマイケルが、再びステージの中央に戻ってこられるかどうかは分からない。それまでも、多くの少年達が変声期と成長期をうまくくぐり抜けることが出来ず、二度とステージに上がらなくなった例を、わたしたちはよく知っていたからだ。
マイケルの不在の間、ほとんど祈るような気持でいた。
彼が無事戻ってこられるように
と。
少年から青年への入り口に立ったマイケルは、1979年、アルバム
Off the Wall
で再びステージの中央に戻ってきた。
"Off the Wall"と"Thriller"の間の一時期、日本ではスズキがスクーター"Love"のCMにマイケル・ジャクソンを起用した。このCMのおかげで"Don't Stop 'Til You Get Enough"は多くの人が耳にすることになった。
マイケル・ジャクソンの大ファンというわけでもなく、ただ同じ時代に生きていただけなのに、なぜこんなに悲しいのかと考えていたら、
マイケルを待っていた時期
があったことを思い出した。
"Off the Wall"がリリースされたのを知ったとき、長い間留守だった友達を迎えたように、ほっとした。
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