京都府木津川市上津遺跡現地説明会@9/20 10:00〜 13:00〜
シルバーウィークは秋晴れで始まった。
明日、
京都府木津川市上津遺跡の現地説明会
が、10:00からと13:00からの二回開かれる。場所はJR木津駅から800m。いま、電話して聞いたら
御霊神社(ごりょうじんじゃ)といえばみんなわかります
とのこと。たぶん、JR木津駅から案内の地図と看板、遺跡の近くまで行けば道案内のヒトが立っていると思われる。
今回の現説の目玉は
漆の入った壺
だ。現代の生活では
川の水運
は忘れがちだが、平城京のあった頃、
木津川にあった港「泉津」は平城京の外港
として機能していた。
京都新聞より。
港に奈良期の大蔵省施設? 木津川上津遺跡・漆付着の土器破片出土漆の付着したかめの破片(右下端)など、港の跡の上津遺跡で見つかった土器。後ろの木立が木津川堤防=木津川市木津宮ノ裏
古代から木津川舟運の港「泉津(いづみのつ)」の一部だった上津(こうづ)遺跡(京都府木津川市木津宮ノ裏)で、漆が付着したつぼやかめの破片が、倉庫とみられる建物の遺構から見つかった。荷揚げされたつぼ入りの漆を、貯蔵用のかめに移し替える公共施設があったと推定される。木津川市教委が16日、発表した。
発掘は、御霊神社北側の木津川堤防べり約100平方メートルで、8月から行った。直径15〜30センチほどの掘立柱跡が約50見つかり、配置から、2棟以上の倉庫があったとみられる。
土器の破片は、高さ・直径とも約20センチの長首のつぼ約20個分、かめ3個分などを発掘。水銀朱の付着した須恵器、人名の一部とみられる「足」と記された墨書土器もあった。
つぼには、詰めていた漆をこそぎ落とした跡があった。形状から、北陸や山陰の製品が含まれており、製造年代は750年以降の奈良時代後半とみられる。
調査した市社会教育課の中島正課長補佐は「泉津は木材の荷揚げ地として知られてきたが、税の『調(ちょう)』などとして全国から集められた漆を扱う、当時の大蔵省の出先の管理機構が存在した可能性がある。都の物流拠点としての『津』の実態解明に役立つ」と話す。現地説明会が、20日午前10時と午後1時に行われる。
というわけで、遺物は地味だけど渋い。
明日はデジカメと単眼鏡をぶら下げて、現説に出かける予定。
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