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2009-10-04

先輩が管長になっていた

人文系でも、積極的に留学に行く学科とそうでない学科ではちょっと違うけど、わたしが最初に在籍した仏教学は、基本的に博士課程になると、海外のどこかに留学する人が多かった。印度学のある海外の大学というと、ドイツ、フランス、イギリス、アメリカといった辺りで、名簿でD以上の先輩は、そもそも研究室で見掛けることは少なかった。留学に行かないにしても、修士までで、基本的な大学教育は終わってしまうのが、その頃の京大文学部のシステムだったので、D2以上の先輩は、D何年目でどこにいるとかいうのは、学部に上がったばかりの3回生にはさっぱり分からなかったし、なにしろ不良学生だったから、余計そうした事情には闇かった。
それでも、研究室名簿は、春にはもらっていて、その一番上、D3以上のところだったとおもうけど
 佐々木容道
という名前が書いてあった。研究室には他にも佐々木姓の先輩がいたので、もっぱら
 容道さん
と呼ばれていた。容道さんは、名前は聞くけど、姿を見掛けたことのない先輩のお一人であった。連絡先も京都市内ではなく、松江になっていた。

で、さっきネットサーフィンをしていたら、容道さんは、天龍寺で偉くなっていて、昨年
 天龍寺管長
になっていた。だから本当は「容道さん」などと呼ぶのは失礼千万なのだけど、ご寛恕頂きたい。
中外日報より。


天龍寺派管長に佐々木容道師家
2008年3月8日

臨済宗天龍寺派は六日、故・平田精耕管長の後任に佐々木容道天龍僧堂師家(54)が就任したことを発表した。大本山天龍寺第八十五世。天龍僧堂師家は引き続き兼ねる。就任は二月一日付。
佐々木新管長は昭和二十八年、松江市の妙心寺派道栄寺で出生。十歳で実父の佐々木皎岳和尚について得度し、広島大学に進学。佛通寺の青松軒藤井虎山師家(管長)に参禅した。同大学大学院修士課程を経て京都大学大学院に移り、初期唯識思想を研究。博士課程在籍中には故・柳田聖山教授らのもとで人文科学研究所、禅文化研究所の研究会などに参加した。
昭和五十九年に天龍寺専門道場に掛搭し、平田精耕師家のもとで修行。のち、平田師家の法を嗣いだ。
平成六年五月から天龍僧堂師家代参、同七年一月に天龍僧堂師家に就任した。道号は淞翁、室号は集瑞軒。
天龍寺派は宗制により、大本山天龍寺住職が管長に就き、派の代表役員には管長が就任することになっている。

上記記事に出てくる昨年1月に亡くなった平田精耕管長も、京大文学部哲学科のご出身だったが、仏教学専攻ではない。ドイツに留学されているのだが、たしか宗教学か、純哲か哲学史の第二か第三講座ではなかったか。やはり先年鬼籍に入られた梶山雄一先生に、学部3回生の頃、平田老師についてお尋ねしたら、面白い話をして下さった。仏教論理学の世界的権威で般若思想の根本「空」研究をなさっていた梶山先生と、平田老師の会話というのは、わたしのような平凡な学生には窺い知れない奥深いものがあったようだった。

東大の印度学に比べると、京大印度学は、宗派の看板を背負っている人がいなくて、講座の中ではそういう争いはなかった。研究室では商売の話はしないというのが礼儀だったのは、総本山・大本山だらけの京都での礼儀だったのだろうと思う。梶山先生は、3回生の頃のわたしに、
 その内、知っている顔が、宗派で偉くなるのを見るでしょう
と仰っていたのだが、確かに、そのお言葉通りになった。

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