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2009-11-15

奈良県桜井市纏向遺跡現説@11/15

マスコミが
 卑弥呼の居館跡か
と煽っている
 纏向遺跡
の現説に出かけた。

JR巻向駅で降りる。
 Mkmk7
昨日と今日は桜井線を増発。いつもは前一両目の運転席のドアしか開かないのだが、現説の人出に合わせて、
 すべてのドアが開きます
というアナウンス。もっとも、次の駅をコールするアナウンスは
 次の巻向駅では二両目のドアは開きません
となったまま。
JR巻向駅周辺にはこんな歴史的な場所多数。
Mkmk6
これまた
 卑弥呼の墓か
と言われる箸墓古墳(宮内庁管理の陵墓名としては、倭迹迹日百襲姫命大市墓[やまとととひももそひめのみことおおいちのはか])から800mと近い。

今回の遺構は巻向駅のホームから見える位置にある。
Mkmk3
桜井線の西側に遺構が拡がっている。調査によると
 西側から東側に中心が移った
事になっているのだが、東側って、桜井線の線路も含むのかな? 近鉄奈良線の新大宮〜大和西大寺間みたいに
 遺跡の上を線路が走っている
状態だ。
逆光になっているが、こんもり見えているのは桜井市太田の
 天照御魂神社
である。阜嵐健さんのサイト「延喜式神社の調査」によると、


天照御魂神社
(略)
JR桜井線巻向駅の西側、駅舎から南へ回り300m。太田集落の東北部に位置する小社。
南側は河跡らしい微低地、西側も低くなるが、東と北側はやや高くなつた微高地形で、雑木林の中に鎮座する。
敏達天皇訳語田幸玉宮の跡という。楠木の巨木がある。
境内地北側は弥生時代から平安時代にまたがる纏向遺跡。
この神社のある太田の地から見ると日の出は立春・立冬は三輪山山頂付近、春分・秋分は巻向山頂上付近となり、日読みの地であったと指摘されている。

とのことで、見えている大きな木は楠だ。また、この神社の所在地から見ると、立春・立冬、春分・秋分に太陽が三輪山や巻向山から昇るということは
 纏向遺跡から出土した今回の建物もほぼ同様の位置にある
ことがわかる。
 纏向遺跡の建物のいずれかが「太陽の動き」を観測し、祭祀を行う建物だった
と考えてもよさそうだ。

遺跡全景。
Mkmk1
西側から建物跡C(棟持柱のある高床式建物 イメージとしては伊勢神宮の正殿 柱は3間×2間で南北約8m×東西5.3m)と建物跡D(総柱建物の畳に換算して140〜150畳の巨大な建物。東西を欠くが、柱は4間×4間と推定。南北19.2m×東西12.4mに復元。南北方向の柱間は4.8mと長く、床を支える細い柱=束柱を床下に入れて補強したと桜井市教育委員会は考えている)を望む。
黄色い円柱が柱穴を示す。太い柱と細い柱があるが、建物Dの太い柱は直径32cm前後、細い柱は直径15cm。

太い柱と細い柱が南北方向に並ぶ様子。
Mkmk2

出土遺物より。
建物Dの柱穴から出てきた土器。
Mkmk5
後世になると、柱穴の地固めに瓦などを入れることがあるが、これは
 建物D以前にあった遺跡の遺物が柱穴に紛れ込んだ
ものとのこと。煤で黒くなっているのが見えるが、煤の年代測定はこれからだとか。展示を説明して下さった桜井市教育委員会の方は
 中に煮炊きしたものの痕跡が残っていると、もっと分析しやすいのですが
と話してくださった。遺跡はまだ発掘中なので、そうした有機物が付着した土器が見つかると
 纏向遺跡の年代測定
には有力な試料となる。

ちゃっかり
 ふるさと寄付金
を募る桜井市のテント。
Mkmk4
関東辺りから来た善良な古代史愛好家が、寄付を申し出ていた。

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コメント

これで邪馬台国論争は一気に畿内説が勢いづきますね。
私はもともと邪馬台国九州論者だったんですが。。。

投稿: 3号佐竹 | 2009-11-16 21:24

初めまして。

私は、数年前まで断固「九州説」の支持者でしたが、最近では「畿内説」を支持するようになりました。
心境の変化が有ったわけです。
奈良は山深く、冬寒く、陰惨で、獰猛な騎馬民族に征服されたかも知れない憂鬱な土地、、、といった不健全なイメージを潜在的に持っていましたが、それは悪しき教育による洗脳(プロパガンダ)の賜物であり、どうやら弥生時代の実情とは大きくかけ離れた“妄想”であるらしき事が解って来たので、以後素直に畿内説を支持するに至りました。

現在宮内庁が、箸墓古墳を倭迹迹日百襲姫命の陵墓に指定している為に「待った」がかかり、調査が進まないと聞きました。
仮に陵墓から金印などが出土すれば、畿内説が一発勝利となるはずですが、箸墓古墳が卑弥呼の墓である場合は、宮内庁が頑張っている限り、畿内説完全「勝利」の日は訪れないでしょう。
少し残念ですね。

纒向遺跡中枢域は“水の宮殿” 3方に河川と人工水路
http://sankei.jp.msn.com/region/kinki/nara/091116/nar0911162241003-n1.htm

>邪馬台国の最有力候補地である纒向(まきむく)遺跡(奈良県桜井市)で見つかった大型建物跡(3世紀前半)の一帯は、河川と人工水路で3方を囲まれていた可能性があることが16日、桜井市教委などの分析で分かった。“水の宮殿”を想起させる構造で、約半世紀後の初期大和政権の大王ともされる崇神天皇の宮の「瑞籬宮(みずかきのみや、水垣宮)」とイメージが一致する。邪馬台国の女王・卑弥呼の宮殿と、初期大和政権の宮の関連性や継続性を示す構造として注目されそうだ。

投稿: 通りすがり | 2009-11-30 16:56

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