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2009-12-20

超あやしい敦煌写本(その2)小説のような実話 李盛鐸の息子の母は日本人で日本労働運動先駆者の高野房太郎夫人だった横溝菊子 帝国大学教授の権威と経済力

さて、敦煌写本と呼ばれるものに
 どのくらいあやしいものが含まれているか
というのは、敦煌文書が世に知られてからずっと議論されている。

先日、武田製薬の「杏雨書屋」で100年振りに公開された
 李盛鐸旧蔵「敦煌秘笈」に含まれていた『新修本草』巻首
についても、真偽についてやかましい議論があったわけだ。その辺りについては、以下に。
 2009-11-15 杏雨書屋特別展示会・研究講演会@大阪(その2)
http://iori3.cocolog-nifty.com/tenkannichijo/2009/11/2-7c2b.html

ところで、
 何故、李盛鐸旧蔵の敦煌文書が日本に大量にもたらされたか
というと、これは
 まるで小説のような実話
が存在する。
高田時雄先生が、その辺りの事情について、詳論されているので、以下の論文を是非お読み下さい。
 高田時雄 李滂と白堅――李盛鐸舊藏敦煌寫本日本流入の背景 『敦煌寫本研究年報』創刊號、2007.03(PDF)

で、高田先生の上記論文では、
 李盛鐸旧蔵の敦煌文書売却の実務を行ったのは、息子の李滂であり、李滂の母は、夫高野房太郎と共に中国に滞在した経験があった横溝菊子だが、高野と中国で死別し、帰国。中国語が出来ることから中国公使館に勤務、その後出洋大臣として日本にやってきた李盛鐸の世話係となり、ベルギーに赴任した李盛鐸に伴われ、当地で一児李滂を生んだが、事情があって菊子のみ帰国。以来、李滂とは面会せず、34歳で早世。
という事実が、当時の新聞記事等を駆使して、活写されている。で、
 日本人を母に持つ李滂は、日本に親しみを持っており、政情不安な中国から、文物保存により適した売却先として日本を選んだだろう
という。

で、この李盛鐸旧蔵書は、
 日本の篤志家の斡旋で、1936年、当時の京都帝国大学教授(38年11月からは総長)羽田亨の研究の便に資された
のであった。同時に
 清野謙次が蒐集した敦煌写本も京都帝国大学の羽田亨の元に齎らされた
のだという。清野謙次旧蔵書の帰趨については、高田先生の以下の論文が詳しく論じているので、そちらを御覧下さい。
 高田時雄 清野謙次蒐集敦煌寫經の行方 『漢字と文化』第9號、2006.11(PDF)

羽田亨の手元にあったこれらの敦煌写本はいずれも篤志家が代金を支払う形で京大に齎らされたのだが、戦況の悪化に伴い、篤志家が兵庫県の山奥に疎開させた。

で、その内の一巻が、先日公開された
 李盛鐸旧蔵「敦煌秘笈」に含まれていた『新修本草』巻首
だった、ということなのである。

日本は比較的早期に敦煌学が興った国であるが、それが可能になった一つは
 当時の帝国大学教授が持っていた潤沢な研究資金や海外での研究機会
があってのことだった。このことについては、高田先生の以下の論文をお読み下さい。
 高田時雄 敦煌寫本を求めて―日本人學者のヨーロッパ訪書行 『佛教藝術』、271號、2003.11(PDF)

一握りのエリートに惜しみなく資金と時間を提供し、
 教育文化による国力増強を図った明治以来の政府の方針
が、その後の敦煌研究に対し、国際的にいかに役だったかということがよくわかる。

敦煌学草創期の日本の研究者は、仏教文献に強かったので、印度学の有名学者の名前も、上記論文には散見する。
 スタインが未整理のまま持ちこんだ大英博物館でのスタイン文書の調査
の苦労話は、涙無しには読めない。他方
 フランスのペリオがフランス国家図書館での敦煌文書の研究に助力を惜しまなかった
ことも、詳細に記されている。

今のような画像公開など考えも及ばなかった時代、船でヨーロッパに趣いた日本の先学達の労苦を支えたのは
 国家による潤沢な資金と時間の提供
だった。先学達はその機会を生かし、限られた海外研究生活の時間の中、猛然たるスピードで研究を果たした。

今では
 個人研究者が敦煌文書を私蔵する
というのは、よほど実家や配偶者の家が資産家でなければ考えられないけど、そうしたことが帝国大学教授には可能だった時代が、一時期、日本には存在した。また、
 優れた研究者の便宜を図るために、貴重な資料を買い受け、研究者に提供する篤志家
というのも存在した。

株で何百億儲けたとかいう話を聞くが、そうした人達が
 文化のために何か金を出した
という話は、現代日本ではとんと耳にしなくなった。

今でも世界には
 博物館や美術館を作れるほどの大富豪のコレクターが存在し、自分のコレクションを優れた研究者に研究させている
例があるのだがな。日本のコレクターは、コレクションの価値を高める研究よりも
 国税局
の方が恐ろしいらしく、個人蔵の貴重な文化財調査は、実に難しい。

戦前の日本のコレクターの恐ろしさを知ることが出来るのは、
 藤井有鄰館
だろう。ここのコレクションのとんでもなさについては、以下でご想像下さい。
 蔵品略目

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