劇場版 のだめカンタービレ 最終楽章 前編@ワーナーマイカルシネマズみなとみらい(ネタバレあり)
ワールドポーターズ5階にあるワーナーマイカルシネマズみなとみらいで、
劇場版 のだめカンタービレ 最終楽章 前編
を見ることに。
ワールドポーターズの1階には、ハワイ・オアフ島の
Leonard's
の支店が入っている。
ここで売っているのは
ポルトガルの揚げドーナツ Malasada
で
砂糖とシナモンシュガーの2種類 1個150円
とオアフよりはちょっと高い。
さて、上映時間までワールドポーターズ内をうろうろしつつ、5階に上がると、入り口でこんな手の込んだ看板がお出迎え。
窓口には当日券を求めて相当長い行列が出来ている。今日はクリスマスだしな。われわれはインターネットで予約済みなので、発券機で発券。
グッズの売店を覗くと、のだめ関係のめぼしいグッズはあらかた売れている様子。
飲み物を買いに行くと
特製マングースドリンクカップ 飲み物入り・マングースストラップ付き 700円
があったので迷わず購入。後ろにいたカップルが
あ、あれ欲しい!
と出てきたカップを見て喜んでいた。
さて、のだめは8番という1つだけ階上にあるシアターで上映される。
上がっていくと
場内はほぼ満員
の盛況。年齢層も中高生からかなりのご高齢の方々までと幅広い。のだめ人気の広がりを実感させる。
以下はネタバレを含む。
原作のコミックスとフジのドラマの整合性をどこで取り、また長い原作からどこを使い、どこを捨てるか。
「のだめカンタービレ 最終楽章 前編」が取ったのは
のだめと千秋の成長の物語に焦点を絞り、成長を導く人物をシュトレーゼマンにする
という選択だった。原作では、物語にいくつかの柱があるのだが、2本の映画にまとめ上げるために、衛藤凜の脚本は、かなり大胆にエピソードを選択し、その代わり
二人の成長をわかりやすく描く
という手法を取った。ある意味、原作で
なぜこんなにページ数を割く
と、展開がもたついた個所があるのだが、その辺りをばっさり切り捨てている。捨てられているのは
・三善家との関係(これはドラマでも千秋ママ以外は省かれていた)
・父千秋雅之との関係とそこにつながる人脈(アンナとかムッシュ長田とか)
・ヴィエラとの関係(ヴィエラの役割をシュトレーゼマンに集約)
・ニナ・ルッツ
・やきトリオ(ポールと黒木は千秋にやきトリオの演奏を聴かされて、オーディションに誘うのだが、その辺りカット)
・「青緑」黒木くんの異文化接触
等等。
原作では
さまざまな人間がさまざまな立場からのだめや千秋に影響や試練を与え、二人が成長していく
のだが、こうした複雑な人間関係を描く代わりに、映画は
音楽を主役
に据えている。千秋の指揮シーンやのだめの演奏に時間を割き
音楽の美しさで、物語を盛り上げる構成
になっているのが、この劇場版だ。
BGMは、ドラマオリジナルは使わず、全編クラシック。従って
もう一つの主役である音楽の美しさを味わうためには、劇場で鑑賞するのが正しい映画
である。
音楽が主役に据えることで
マエストロであるシュトレーゼマンの役割が重く
なった。弾き振りのバッハは
シュトレーゼマンの館で、シュトレーゼマンに指導される
演出に変わっており(原作では、ニナ・ルッツの家で猛練習)、原作にはないシュトレーゼマンの登場シーンがある。
前編では、千秋の成長を助けたから、後編ではのだめを成長させるだろう伏線
が、あちこちに貼られている。原作では
なぜシュトレーゼマンはのだめと共演したか
が、
気まぐれ
のようにも取れる描写だったのだけど、劇場版では
師としてのシュトレーゼマンの当然の行動
だと納得できる筋立てになっている。
のだめとRuiとの関係も、
Ruiが母親にひっぱたかれるシーン
を、
のだめが花桜先生に暴力を受けて一時ピアノをやめる契機になる事件
と重ねることで、
必ずしもいい関係だと思えないのに、のだめがコミックスの最終盤で、なぜRuiに同情を寄せたか
がわかりやすくなっていた。
感心したのは
黒木くんの指が音とばっちり合っている
ところだ。どのくらい練習したんだろうと思う。ドラマの時も、福士誠治はちゃんと指を合わせていたのだけれども、こうした
地味な努力
が、
映画の説得力
を上げるわけで、
上野樹里のピアノの運指
とともに、
「のだめカンタービレ 劇場版 前編」の音楽への姿勢の真剣さ
を強く印象づけている。
選曲でいうと
チャイコフスキー 大序曲1812年
を、マルレオケの常任就任の最初の曲にしたのは、話をわかりやすくするのには良かったな。1812年は、吹奏楽コンクールの自由曲として、じっくり取り組んだ馴染み深い曲で、楽しんで聴いた。もっとも、本当のところ
フランス人がロシア人にギタギタにやられる曲
なので、果たして外国人の新任指揮者が、フランスのオケ就任の挨拶代わりに使うかどうかは疑問なんだけどね。テオが大砲を撃つシーンも、実際にはあり得ないんだけど、あのシーンのあるおかげで、劇場版は
音楽ファンタジーである
という方向性を強く打ちだした。この流れがあったからこそ
3D変態の森
があってもおかしくない構成になっている。
2009年は辛く、悲しいことが多い年だったが、
憂き世を忘れられるハッピーな映画が「のだめカンタービレ 最終楽章 前編」
だ。もっとも、原作を読んでないと
ハッピーエンドになるかどうかわからない
ところがなんだけど。
前編は
千秋とのだめが分かれて住む直前
で終わるのだが、もし、後編の冒頭がこれに続くのだとすると、原作の「萌えシーン」が来ることになるのだが、はて、どうなるやら。
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