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2010-01-17

阪神淡路大震災から15年

また1月17日が来た。阪神淡路大震災で直接亡くなった方、後にそのことが遠因となって亡くなった方に合掌。

当時は京都に住んでいた。
揺れが来る1分前に目が覚め、地鳴りがしたので、とっさにベッドの横のガラス障子を押さえた。ガラス障子の向こうには大きな本棚があり、大量の本が詰まっていた。
築50年以上の農家の離れは大きく揺れた。長い揺れだった。
幸いだったのは揺れの方向が寝ている頭と足の方向だったことで、もし左右に揺れていたら本棚がガラス障子を突き破り、たぶん今頃は生きていない。
戸の開く家具は、ほとんどが揺れと直角の方向に置いてあった。

当時新居浜に住んでいた弟からすぐに電話が来た。
 震度5だったみたいだけど大丈夫?
と。こちらは大丈夫、と答えたが、埋め立て地の高層マンションに住む弟の家は、揺れが大きく、食器などが散乱し、足の踏み場もないという。本人にはケガはなかった。

NHKの第一報は
 天理市でケガをした人がいます
などといったものだった。
7時を過ぎると、情報の空白地があることが、段々分かってきた。それが
 神戸
だった。

その後のことは、今日も繰り返し映像で伝えられるだろう。

以下は個人的な記憶を記しておく。5年前に記した記憶とほとんど同じ内容だが、書き残しておく。

重い瓦を頂く寺院は、震災にはひとたまりもなかった。大学の先輩も亡くなった。
先輩のお一人は、お寺が倒壊、ご家族をすべて亡くされた。近くの高校の体育館は遺体の安置所となった。先輩は安置所に遺体が搬入されると、枕経を読み、亡くなった方を弔った。神戸市やその周辺には他にもご自身も被災者となった僧籍を持つ先輩がおられ、いずれも供養をされたり、境内を開放されたと聞く。
この話は、先年亡くなられた梶山雄一先生から直接伺った。

関西の研究機関も大なり小なり被害を受けた。
2月だったか、民博の博士論文公開審査に行くと、研究棟のあちこちが被害を受けていた。搖れの方向とドアの開く方向が同じ研究室では、ドアの後ろに資料や本棚などが倒れかかり、内開きのドアは開かない状態だった。
展示も被害を受けた。展示館が借り受けた展示物を破損することは普通はあり得ない。天災による被害ではあったが、貴重な文化財を破損してしまった、と民博の先生方は借り受け先である外国や機関に悲痛なお詫びをした。

震災が遠因となって、友人が亡くなった。
友人が愛してやまなかった阪神間の街がすっかり破壊されたのがショックだったのだろうか。
震災の後、食べ物をほとんど取らなくなり、アルコールばかりを飲んでいたらしい。そんな状態で、震災でショックを受けて、茫然としている近隣の人達を励ますボランティアをしていた。一度、研究室に異常なテンションで電話が掛かってきた。今考えると、かなり精神的に参っていたのだろうが、空元気を出して自分と周りを鼓舞しようとしていたようだった。
それからしばらくして、肝臓が悲鳴を上げた。同居されていたご家族が気がついたときは、手の施しようがない状態で、救急搬送されたが、そのまま亡くなった。

地震の直後の"TIME"誌には、震災で亡くなった方達の写真が無造作に掲載されていた。「オタク」を揶揄するつもりだったのか、圧死した女性の周囲に「ドラえもん」のコミックスが散乱している写真があった。
TBSの「ニュース23」だったと思うのだが、震災直後の火事で亡くなられたお母様の遺骨を掘り出しているご家族を執拗に撮影した。遺骨をあり合わせの容器に入れていくところも撮影し、ご家族が厭がって追い払おうとするところまでを放映した。
同じ映像は後日、尺を短くしてまた放映された。

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