序というスタイル
中国古典の序というのは、取っつきにくい印象がある。
腹痛で寝込んでいるので、中国古典医書の文献データを整理していた。寝ながらできる作業といえば、マシンを胸の上に置いて文献を読むことくらい。電子データはフォントの大きさを自由に変えられるので、その点ありがたい。
で、たぶん50以上の書物の序の部分と本文のごく一部にざっと目を通した。本当にざっとなんだけど、たとえざっとであっても、量を見るというのはバカにならないもので、傾向というのはなんとなく分かる。
これまでに精読した序や本文もいくつかある。
ざっと見るだけではダメなんだけど、精読したものがいくつかあると、やがて
序のスタイル
がどういう構造かが見えてくる。
これが別集(個人文集・詩集)なんかだと、別集の作者の背後関係などを知らないと分からないことがてんこ盛りだったりして、そう簡単にはいかなかったりするのだが、医学関係だと、伝記的事実が自序にしかなかったりするから、まあ、それほど複雑ではない。
何を引用するか、という辺りも、別集のように
作者の文才を褒め称えなくてはいけない序
では、序を頼むときには文名の高い人間に依頼するのが普通だから、作者の文才を序によって飾るためには、それなりに彫琢を凝らす必要があるけど、医書はなんと言っても実用書なので、そこまで凝る必要がない。
勢い
どっかで見たような言い回し
が増えることになる。従って
ある程度の分量を精読した後に、大量にざっと読む
と、
序の成り立ち方
が見える、という仕組みだ。
序は読みにくいのだけど、医書に関しては、ある程度読み込めば、後はあまり苦労しないように思う。
というわけで、多紀(丹波)元胤の『医籍考』を読むのが、数段楽になった。『医籍考』だけ読んでいると、本文がないから疲れるもんなあ。
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