川合康三『白楽天ー官と隠のはざまで』岩波新書1228 あるいは大綱化と大学院重点化による失われた15年
川合先生が岩波新書のために書き下ろした
白楽天ー官と隠のはざまで
は、受業生ならよく知っている、白居易に関する川合先生の持論を、一般向けに分かりやすく書いたものである。
あとがきに
李商隠の訳詩の合間にしたおしゃべりがこの書物の元になった
とあるけれども、川合先生の中唐文学に関する授業に出たことがあれば、それこそ、よく耳にしていた話なのだ。
この書物は、
国立大学の大綱化と大学院重点化政策のために出るのが15年遅れた
と、わたしは思う。もし、40代の頃の川合先生が書いたとしても、本書とおおよその内容はそれほど違うわけではなかっただろう。むしろ、川合先生の白居易に寄せる関心が強かった時期だったから、もっといろいろな内容を盛り込むことが出来たかも知れない。川合先生の若々しい文体からほとばしるエネルギーが、さらに横溢する『白楽天』になったかもしれない。
なぜ、川合先生がその時本書を書かなかったかといえば、
執筆に充てる時間がなかった
からだろうと思う。そのことを惜しむ。
当時、川合先生は、中堅教官として、大綱化や大学院重点化のための会議に次ぐ会議に忙殺されていた。とてもではないが、こうした書物に暇を割けるような状況ではなかった。
中国の古典文学、それも詩文に関する書物を著す時には、
腰を据えて、頭をのんびりさせる時間
が必要である。中国古典は
どの語にも出典がある
と考えなければならない。平易に見える表現にも、その言葉に連なる数百年以上の歴史が脈々と流れていたりするから厄介だ。白居易の場合は、殊更に平易な表現を用いるから、落とし穴はあちこちにある。
恐らく、川合先生は本書の叙述に、もっと取り入れたい詩文があったのだろうと思うけれども、残念ながらそれは果たされなかった。40代の頃の川合先生もお忙しかったのだが、いまも多事に忙殺されていらっしゃるのだろう。ぎりぎりの時間で書き上げられたのが本書ではないかと推察する。
入れるべき詩文を略さざるを得なかったであろうことを思うと、中国古典文学研究の行く末の辛さに涙が零れる。
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