「祝! 銀メダル! 涙が真央を強くした~努力と絆と闘いの日々・7年間密着~」@東海テレビ 3/14(関西は関テレ 3/15 2:05〜3:31)
浅田真央の地元名古屋の東海テレビが制作した、浅田真央12歳からの五輪銀メダルまでのドキュメンタリー。地元局の制作だけに
・ノービスの頃からの映像とインタビュー
・山田満知子コーチインタビュー
など他の追随を許さない内容である。
なによりも
浅田真央という希有なアスリートへの敬意と愛情が詰まった番組
に仕上がっている。
たとえば、2006年全日本選手権の試合直前、浅田真央は練習で手の小指を骨折する。普通の選手だったらそれだけで気力を失ったり、試合前のインタビューでそれとなく故障を明かしたり、結果が出なかった時には試合後に言い訳の種にしそうなケガなのだが、浅田真央は、試合からしばらく経ったインタビューで、骨折があったことを明かしながら、取るに足らないことだったような調子で
たいしたことなくて、ちょっと切って直しました
というように、微笑みながらインタビューに答えるのである。骨折をモノともせず、むしろケガがあったからこそ、一段と強い闘志をもって試合に臨み、浅田真央は2006年の全日本を211点を超える記録的なスコアで2位の安藤美姫を大きく引き離し、16歳で初めて制したのだった。番組はそうした浅田真央の五輪までの歩みを丁寧に伝えて行く。
5歳の頃から浅田真央を指導する山田満知子コーチのインタビューも濃い内容である。幼い頃から浅田真央を知る山田コーチは、浅田真央の弱点も長所も、そしてその成長もよく見ている。
さすがだな、と思ったのは
もし、トリノ五輪にあのまま出場が認められていたら、今回のバンクーバー五輪で得たようなものは得られなかっただろう
という発言だった。そして
銀メダルで泣いたのは、負けたのも悔しかっただろうけれども、それより、2回の3Aを決める(難しい)ことができたのに、(後半の)もっと簡単なジャンプの3Fや3Tを失敗した自分がふがいなくて泣いたのだろう
という言葉だった。
牧野講平トレーニングコーチは、浅田真央の飛び抜けた練習量に驚き、また、成長していく浅田真央の体調管理について触れながら
自分があの年(19歳)で、あんなにストイックな生活はできなかった
と言う。
姉の浅田舞も
真央の生活は家と大学とリンクの往復しかない
と言い、体調管理のため去年から週一回のオフが出来てからは
普通の(女の子の)生活を味わうオフ
にしている、とも語る。
浅田真央が5歳から、恐らく変わらないで持っている
スケートが好き
という気持、それが他から見れば驚くほどストイックなフィギュアスケート中心の生活を支えている。番組は豊富な過去のビデオを用いて、浅田真央のスケートへの愛と奉仕を十分に伝える。
中学・高校生の頃の浅田真央は、海外遠征から帰ってきた翌日であっても、リンク使用の時間が取れれば、必ず練習に行く。その姿がビデオに収められているのだ。リンクの空き時間は営業時間とぶつからない時間だから、浅田姉妹が滑っている時間は夜中の12時を過ぎていて、練習が1時過ぎまで続く様子が映し出される。中京大学は、専用リンクを作って浅田真央を迎えた。そのリンクで、浅田真央は氷にたたきつけられながら、何度も起き上がり、納得のいくまでジャンプの調整をするのである。
華やかな氷上の姿は、日々の怠りない鍛錬から生まれる。牧野コーチは、浅田真央の今回の五輪に至る道のりを
才能に溺れず、積み上げた
と評した。
才能に溺れない
それが、浅田真央が人々に共感を呼ぶ部分ではないか。才能に恵まれる人間は一握りであり、なおかつその才能を十二分に活かすことができる人間は更に少ない。才能は人をダメにすることもあるが、浅田真央は常に
真摯に新たな課題に向き合う
のである。浅田真央にとって、才能とは
磨き上げるためにある
ものなのだ。
山田コーチは、
次の真央は、わたしたちが想像するよりもっと、見たこともないように、大きくすごくなるんじゃないか
と楽しみにしていた。あと4年で何が起きるか。それを目撃したい。そう思わせる番組だった。
この番組を見ると
東京で制作される浅田真央関連の番組の異常さ
がよくわかる。そこにあるのは
浅田真央という才能を利用して「金儲けをしよう」という欲望
であり、そういう意図で作られた番組はことごとく詰まらない上に
アスリートの才能への敬意を決定的に欠いている
のである。
ちなみに、この番組は東海地方と関西では放映されたが、東京では放映されていない。
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コメント
>アスリートの才能への敬意を決定的に欠いている
オリンピック番組に関心を持てないのは、まさにその点です。
札幌オリンピックの時は、ジャンプを固唾をのんで見ていたものでしたが。
投稿: rokutan | 2010-03-18 15:05