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2010-03-12

昭和34(1959)年当時、登録されていた在日朝鮮人61万人の内、戦時徴用によって渡航し日本に残っていた朝鮮人は245人@外務省

もっとたくさんいるのか、と思ってたのでびっくり。
産経より。


在日朝鮮人、戦時徴用はわずか245人

2010.3.11 08:02

 戦時中の徴用令によって日本に渡航し、昭和34年の時点で日本に残っていた朝鮮人は、当時登録されていた在日朝鮮人約61万人のうちわずか245人だったことが10日、分かった。自民党の高市早苗元沖縄・北方担当相の資料請求に対し、外務省が明らかにした。
 資料は34年7月11日付で、245人について「みな自分の自由意思によって日本に留った者または日本生まれだ。日本政府が本人の意志に反して日本に留めているような朝鮮人は犯罪者を除き一名もいない」と結論付けている。
 永住外国人に地方参政権(選挙権)を付与する法案の推進派は、在日韓国・朝鮮人が自分の意思に反し日本に住んでいることを理由の1つとして挙げてきた。

とりあえず、メモ。

続き。「歴史は語る」さんから
 1959年の在日朝鮮人が61万人というのは本当か
というコメントをいただいので、在日大韓民国民団中央本部が出している人口推移の統計を確認した。
これによると
 1959年 619,096人
であり、61万人というよりは
 62万人弱
である。在日本朝鮮人総聯合会のサイトも見てきたけど、人口推移に関するページがどこにあるかわからなかった。というわけで、民団の統計が正しくないと判断する根拠を持たないので、
 1959年には在日韓国朝鮮人は約61万人
でいいだろう。

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コメント

祖父は戦前から土建屋を営んで営んでいたので、
戦中は朝鮮半島から送り込まれてきた労働者をかなり使っていたそうです。
その話の感じからすると、あくまで本人希望の志願であるが断れないって感じの
派遣だったように思います。
だた、その人たちは終戦直後、希望者は全て帰還して行ったそうです。
祖父曰く、仕事がよく出来て残って欲しいと思った人は全員帰り、
ぜんぜん使えない、要らない奴だけ居座った。

投稿: nyamaju | 2010-03-12 11:13

あくまで記録です

核密約すらなかったことになってた外務省が、国の責任を問われる文章を戦後14年経っても保存していたと???
本当に母数は61万人だったのでしょうか?

日本人として日本に留まり日本国籍を持っていた人から、国籍を奪い、種々の権利を剥奪した歴史は残ってます
日本に生活基盤を持っていた同じ国民だった人に、『居残る』などという表現を使う仕打ちは恐ろしいものです

基本的人権を尊重できない国に住む国民の将来を物語るカナリアのような存在でしょうが、日本の歴史の総括とはその程度のものなのでしょう

(外国人の地方参政権とは切り離した議論で冷静に判断するべき問題だろうと思います)

日韓条約で在日韓国人に対しては決着しているにしても、在日”朝鮮”人(圧倒的多数は”北朝鮮籍”ではなく、無国籍!)に関しては、なんら決着してないことを、日本人は心するべきだろうと思います

投稿: 歴史は語る | 2010-03-12 14:35

>>歴史は語るさんへ
単に、日本に帰化して日本人になるか
半島に帰って朝鮮人として暮らすかすればいいだけじゃないいんですか?

投稿: なんだかなあ | 2010-03-12 17:21

>単に、日本に帰化して日本人になるか

日本が帰化に関してどれだけ面倒な手続きを要求していたかについて、無視しては歴史は語れません
日本には帰化を促進してきた歴史はありません

日本人だと思い日本語しか喋れず、生活基盤が日本にしかなかった人達も沢山いたということの想像力が乏しいようですね

香港が中国に返還された時にはイギリス国籍か、中国国籍かの選択権がありました
在日の朝鮮、台湾の人には選択権は与えられず、日本軍として戦死した人の遺族年金の対象からも外されてます
戦中は、台湾・朝鮮の人達の”日本兵”が数百人規模だったとは言わないのに、たった数百人の問題に帰着してしまうのはどうなのでしょう?

戦中は『同胞』だったことを完全に無視した議論は、やはり違和感があります

『終戦までに日本軍に徴兵された台湾人は8万人を越え、徴用された軍属は126,700名にも達した、また学徒出陣による徴兵もあり、太平洋戦争における軍人・軍属の死者は3万にも及んだ。』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%B0%E6%B9%BE%E5%9B%A3%E7%B5%90%E9%80%A3%E7%9B%9F%E9%9D%96%E5%9B%BD%E7%A5%9E%E7%A4%BE%E5%8F%82%E6%8B%9D%E4%BA%8B%E4%BB%B6

歴史から学び、将来にどう生かしていくのかは、日本に住む日本人の人権をどう守るかということ同義です
同じ同期の桜と散った英霊に対しても、同じような言葉を掛けられるのでしょうか?

投稿: 歴史は語る | 2010-03-12 18:50

元々、昭和34の朝日新聞で報道されていた話ですよね。

>核密約すらなかったことになってた外務省が、
>国の責任を問われる文章を戦後14年経っても保存していたと???
記事は全然読んでいませんって言っているに等しいかと。

>日本人として日本に留まり日本国籍を持っていた人から、国籍を奪い、種々の権利を剥奪した歴史
一度日本に組み込んでおきながら、負けただけで朝鮮を放棄した日本、放棄させた連合国はけしからん!
っていう意味ですよね?
現在の韓国北朝鮮を見ると、新鮮に感じる意見です。

>『居残る』などという表現を使う仕打ちは恐ろしいものです
祖父の話の感じからして、無言の強制だったのは
朝鮮の人だけではなく、日本で使う側の人も同様って事だと思いますよ。

投稿: nyamaju | 2010-03-12 21:29

こういう問題に関しては、どうしても「事実」だけがよりどころになるのではないかと思います。朝鮮人の日本国籍喪失について日本には責任はありません。

■在日朝鮮人の国籍と権利をめぐる25のQ&A
http://d.hatena.ne.jp/furukotobumi/20091203/p1

投稿: yoshida | 2010-03-13 00:18

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