札幌の三越が今日から分社化して丸井と経営一体化
三越と「丸井さん」が経営一体化なのね。道新より。
札幌三越、きょう分社 丸井今井と一体運営 (04/01 08:45)百貨店の三越札幌店は1日、三越から分社化し、地域事業会社「札幌三越」として再スタートを切る。三越伊勢丹ホールディングス(HD)の組織再編の一環で、三越は全国一律の店舗運営から転換、札幌丸井今井との一体運営で地域密着の店づくりを強化する。売り上げ低迷で地域一番店の座を大丸札幌店に奪われた両店は、大丸に負けぬサービス、魅力を打ち出し、大通地区に人の流れを呼び戻せるかが課題だ。
同HDは首都圏以外の札幌や名古屋、新潟、福岡など8地域の三越店舗を分社化。地域別の賃金体系を導入、人員配置も見直して運営コストの削減を図る。商品仕入れや小規模改装などの権限を移し、意思決定を迅速化するという。1日付で札幌三越社長に就任する福井文弘札幌店長は「地元企業と連携して商品開発も進めたい」と、道内密着の店づくりを強調する。
札幌三越と札幌丸井今井は今後、運営の一体化を進めていく。
両社の総務や広報、販売促進など売り場以外の部署や物流、在庫管理などの統合で経費を削減。営業面では顧客情報を共有するほか、三越、丸井今井それぞれが発行するカードを同HD系列の「エムアイカード」へ統一。10月以降、どちらの店で買い物をしても同じ優待サービスが受けられるようにする。同HDは2社の経営統合も選択肢として検討する。
最近、札幌に帰ってないけど、子どもの頃、西線地域では
町へ行く
というのは
南一条西四丁目界隈に買い物に行く
というのとほぼ同義だった。だから、タクシーに乗って
四丁目まで
といえば、すぐに連れて行ってくれたのだったが、その内
どこの四丁目ですか
と聞く地方出身の運転手さんが増えて、この符丁は効力を失った。
四丁目の交差点(南一条西四丁目と三丁目の間にある)には、三越が東北角に店を構えている。わたしの家は元々はその向かいの西北角にあった菓子屋だったので、三越や丸井とは曽祖父の頃から付き合いがあった。近所に火事があると、三越や丸井から若い人が飛んできた、という話を聞いたことがある。
その付き合いの古さが、道外の大学を目指す動機の一つとなった。だって、おちおちデパートで買い物できないなんて、冗談じゃない。子どもの頃、叔母と三越や丸井に行くと、あちこちの売り場から声が掛かって、挨拶されるという市中引き回しの刑に遭うのだった。叔母ならまだいい。家付きの総領娘で、紛う事なき四丁目生え抜きの祖母とだと、更にトンでもないことが起きる。目的の売り場に行くまで、関所だらけで、ともかく目の前で発生しているプロトコルが早く終わらないかと、そればかりが気になった。
幸いというか、わたしが10代の頃には適宜零落していたので、一人でデパートに行く分には市中引き回しの刑はなくなったのだが、それでも油断するとあちこちにトラップはある。売り場へ足を運ぶときは、経路を考えて行った。売り場によっては、顔を覚えられるとややこしいことになる。ちょっと買い物へ行くぐらいなのに、馬鹿馬鹿しいくらい面倒だった。
今でも親や伯父叔母は四丁目関係の商店街の寄り合いに入っているはずで、毎年、旅行に行ったりしている。わたしの世代は誰も札幌の商店街に関係する仕事に就いてないので、この後はどうなるかわからない。ただ、四丁目との絆は戸籍に残っていて、わたしも結婚するまでは
中央区南一条西四丁目
に本籍があった。弟はまだ結婚してないから、いまだに本籍地は四丁目のままだろう。父の世代までは「四丁目の○○」で通ったらしいから、実に恐ろしい。道外へ逃げたくなる所以である。
三越は東京資本だが、丸井は「丸井さん」と呼ばれるように、道内の資本で、三越よりは庶民的なデパートだった。問い合わせの電話を掛けると、応対がやはり三越と丸井では違った。その辺り、店の格とか店員の教育とかは、顕著な違いがあった。
しかし、四丁目にヒトが行かないとなると、辛いですな。ヒトの流れが、札幌駅を中心とした北へ移動しちゃったんだな。
四丁目へのルートは、地下鉄南北線と市電だけど、いまの札幌は市電を使うような地域は、どんどんマンションが建つ。実家の裏も、以前は三菱銀行だか三井銀行だかの一戸100坪の敷地を持つ戸建て社宅が4戸あった場所だったが、これは割に早く売却され、広すぎて売れずに長いこと駐車場になっていたのだったが、数年前にとうとうマンションが建った。実家の庭から見えていた藻岩山が見えなくなったと、叔母が嘆いていたが、マンションが風除けになって、大分風に関しては楽になったらしい。前は大風が吹くと、栗の木の枝が折れないかとか、いろいろ大変だった。
で、マンションに住んでいる人達は、元々西線地域にいたヒトばかりじゃないから、市電にも愛着はない。最近、実家の辺りは、市電くらいしか市の中央部に出る手段がない
交通が不便な場所
になったらしい。市電があったらそれでいいじゃん、とわたしなどは思うのだが、市電は南一条通りが鬼門で、昔、交通局があった十五丁目まではすいすい行くけど、そこから四丁目までが長い。雪の積もる冬は道幅が片道1車線ずつ減るから更に大変だ。地下鉄の便利さに慣れたヒトの方が多いから、そうすると、市電なんか乗っちゃいられない、ってことになるんだろう。
道新の記事では、「大通地区」になってるけど、わたしの認識では
南一条通り界隈
だ。そりゃ、地下鉄の駅は
大通駅
だけど、大通はあくまでも
大通公園
でしょうが。南一条通りの西三丁目から一丁目まで、三越から丸井を過ぎて創成川へ突き当たるまでは、かつてはメインの商店街(いまでも一番街と言っている)だったわけだけど、やはり旧市街地(基準は北海道神宮のお祭りの当番をしているかどうか)同様、老いていくのかな。何より、我が家のわたしの世代が誰も商店街の仕事をしてないって辺りで、その趨勢はしばらく止まらないような気がする。従姉弟も大体道外に出ちゃったからなあ。地縁の付き合いの面倒さに頭を悩ますよりは、道外で気楽に暮らす方を選んじゃったということだ。今、「お前、代わりに寄り合いに出てくれ」とか言われても、絶対にイヤだもんなあ。
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コメント
大学の同期は、丸井さんにも拓銀にも入社したのが多い。
札幌に帰るたびに、街の雰囲気が変わっていくので、さびしい思いをする時がある。
池内も金一館も変ったなー。
長崎屋ってあったけ。
松坂屋から換わったスーパーも行き詰って、後はどうなったかの知らんし、、、、
子どもの頃、三越の紀文で買ってくるアジの干物は、大好物でした。
あれって北海道だったら高級魚だったはず。
だって、ホッケより高いんだもん。
それに、新橋しのだ寿司の茶巾寿司が、最高のご馳走ね。
そんな懐かしい思い出です。
投稿: ぐりぐりももんが | 2010-04-01 12:47
札幌でも大変な状態のようですね。
福岡では老舗の岩田屋と福岡三越が岩田屋三越になるそうです
合併です
職を失う人もいることでしょう
本当にまるで戦争のようです
競争は必要だと思いますが今の状態はちょっと行き過ぎのような気がします
http://www.sankeibiz.jp/business/news/100402/bsd1004020920007-n1.htm
投稿: ゆりあ | 2010-04-02 20:54