森毅先生ご逝去
京大教養で数学を教えておられた森毅先生が亡くなられた。
合掌。
朝日より。
数学者で京都大名誉教授の森毅さん死去 独特な社会評論
2010年7月25日17時45分数学者で時事問題にも鋭い視点で論評し、「よろず評論家」として活躍した京都大名誉教授の森毅(もり・つよし)さんが24日、敗血症性ショックのため大阪府内の病院で死去した。82歳だった。2009年2月27日、自宅で料理中にコンロの火が服に燃え移り、重いやけどを負って入院していた。葬儀は行わない。
東京都生まれ。東京大理学部で数学を専攻。卒業後、北海道大助手などを経て1957年に京大助教授、71年から同教授。京大教員時代からテレビに出演し、関西弁の独特の語り口が評判になった。91年に退官後、講演や執筆活動のほか、テレビのコメンテーターでも幅広く活躍した。
画家の安野光雅さんとの話を収めた「対談 数学大明神」や「異説 数学者列伝」など著書も多数ある。
大火傷をされた後、恢復されなかったのだな。
私たちは專ら
森毅(もりき)
と呼んでいた。当時、京大の教養にはもう一人森先生がおられ、こちらは
森是(もりこれ)
と呼んでいた。森是先生は
国憲の森是
というのが通り名であり、共産党から京都府知事選に出馬したので、京大は辞められた。選挙の時は
川口是
で出ていた。
森毅先生のエピソードは枚挙に暇がない。
授業で言ってる話が、嘘かほんまかわからない。
例えば、こんな話。
ぼくの単位が取れないと、「自殺するしかありません」と答案に書いてきた学生がいたので、自殺率の高い京大でほんまにそいつが自殺するかな、と思って落としたら、自殺しなかった
とか、ま、その手のちょいと毒のある話が多い。
ちなみにわたしは森毅先生の数学4か数学5の単位を貰ったはずである。一題はローテーションの問題だった。
森毅先生の答案は
適当な時期までに研究室へ提出
であり、
締切はぼくが適当に決める
という、スリル満点の締切だったので、みんなびくびくしながら提出に行っていた。遅れるとアウトな筈だが、必ずしもそうでもなかったらしい。
| 固定リンク
コメント
計算上は致命的な重度の火傷でしたが、
しばらく訃報が無かったので、何とかなったのかと思っていました。
非常に残念です。
>エピソード
医学部は基本的に進学校や予備校の延長みたいな状況ですので、
そういったエピソードが生まれる余地が全くありません。
ちょっとうらやましい。
投稿: nyamaju | 2010-07-29 10:30