七夕
お盆が旧盆であるのと同様、北海道東北地方は
月遅れの七夕
だ。今日8月7日がそうだ。
前にも書いたけど、札幌など北海道のいろんな地域では
蝋燭出せ
が七夕の行事である。町内の子ども達が寄り集まって、手に手に提灯をぶら下げ、町内や近所の家を一軒一軒回って、門口で
蝋燭出せ出せよ、出さないとかっちゃくぞ、おまけに食いつくぞ
といささか物騒な歌を歌って、小さなお灯明用の蝋燭を貰ってくる、という行事だ。大抵は浴衣姿である。もちろん、子ども相手の行事なので、家によっては、蝋燭だけでなくお菓子も用意しておき、子ども達に手渡すのである。
いつの時代にも子どもの来訪を歓迎してくれる奇特な家というのはあるもので、そうした家は皆知っていて、ちょっと遠くても足を伸ばすのだった。氷砂糖を呉れた家もあった。
蝋燭出せが終わると
家で花火
で、年かさの子が小さい子の面倒を見ながら、花火をするのだ。何軒かの子どもが一緒に花火をしていることも珍しくなかった。花火の最後は
打ち上げ花火かナイアガラ
と決まっていた。合間に手持ちの花火をするのだが、
一袋に入っている本数の多い線香花火
は結構人気があり、下駄履きの足にうっかり火の玉を落とさないように注意しながら、みな自分の火花の散り方が大きいとか、長く続くだとかを競い合った。線香花火には
細く割いた竹ひごに黒い火薬をマッチ棒よりちょっと長めに塗りつけた中国製
と
昔ながらの色鮮やかな紙を撚った日本製
があって、小さい子どもには、ちょっとくらい揺らしても火の玉が落ちない中国製が良かったのだが、線香花火の腕を競うのは、日本製が向いていた。もっとも、日本製は
すぐに湿気る
という欠点があって、そうなると、火を付けたとたん
ジジジ
と音を立てて、すぐに消えてしまうのだった。
町内に子どもが少なくなった時点で、七夕の「蝋燭出せ」は
子ども会の行事
となり、その後どうなったんだか、ある年叔母に聞いたら
今年は来なかった
と言っていたな。
子ども会の行事になった時点で、
蝋燭出せ
の民俗行事としての命脈は絶えた。
一つとなりの町内でも、同じ「蝋燭出せ」の歌の文句も旋律も、ちょっとずつ違う。子ども達は、町のあちこちで聞こえる「蝋燭出せ」の歌を聴きながら、
あ、どこそこの連中はあそこにいる
と確認しあったのである。そうした
ごくごく微妙な差異
は、とっくに失われたものと思う。たぶん、「蝋燭出せ」の歌を採譜しているヒトもいるだろうけど、昆虫の展翅標本よろしく、採譜したところで、それは「蝋燭出せ」の歌の骸なのである。
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