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2010-09-06

元天理よろづ相談所病院消化器内科部長の先生 京大に3回目の入学

どうやら文学部科学哲学科学史専修に編入された模様。朝日より。


理学部→医学部→60歳で文学部 京大3回合格の体験記

2010年9月5日13時21分

 昨春、60歳で京都大文学部の入試に合格した元医師の男性が、受験勉強の方法や学生生活をつづった本を書き上げた。京大の理学部と医学部の卒業生でもあり、京大生になったのはこれで3度目。仕事や子育てから解放された「アラカン」(アラウンド還暦)の団塊世代に「隠居勉強」の魅力を伝えたいという。
 男性は京都市山科区に住む高鍬(たかくわ)博さん(62)。今月中旬に「還暦 三度目の京都大学合格記――究極の脳トレは受験勉強――」(ナカニシヤ出版、1575円)を出版する。受験で使った参考書や勉強法に加え、学生生活の様子も紹介している。
 高鍬さんは、ノーベル賞を受けた湯川秀樹博士にあこがれ、高校卒業後の1968年に京大理学部に入学した。だが、公害が社会問題になっていたころで、科学の限界も感じた。「後悔しない仕事がしたい」と思い直し、卒業した年に医学部を受験して再入学した。
 30歳で卒業してからは、消化器内科の医師として働いてきた。2000年から今春までは、奈良県天理市の天理よろづ相談所病院で消化器内科部長を務めた。
 アラカンでの大学受験を決意したのは在職中の07年夏。認知症を患う母を介護する時間を作るため早期退職することにし、空いた時間を生かして大学で勉強に取り組むことにした。
 「趣味として学べる」と考え、3度目に選んだのは文学部。「医師を辞めるのはもったいない」と反対する友人もいたが、妻からは「好きなように、したいことをしたらええ」と励まされ、4人の子どもも応援してくれたという。
 仕事が一段落した08年春、受験勉強を始めた。医療現場は多忙を極め、帰宅は午前0時を回ることもあった。週末は母の介護もあり、まとまった時間を確保しづらいのが悩みだった。電車通勤中の往復2時間が勉強時間になった。
 昨春の入試に合格して入学したが、仕事の調整がつかず1カ月でいったん休学。今春退職し、本格的な学生生活に入った。前期はフランス語や科学哲学、科学史など週に16コマを受講した。
 40歳近く年下の学生に交じることには戸惑いもあった。でも、「みんな友達感覚で受け入れてくれた」という。同級生からつけられたニックネームは「くわ君」だ。
 楽しみながら突破した難関。「受験勉強は趣味。知識が増えることが楽しい」。同世代にもエールを送る。「人生は一度きり。元気なうちに、やりたいことをやるべきです」(竹山栄太郎)

3学部制覇とは凄いかも。

京大文学部の学士入学要項はこちら。
平成22年度 京都大学文学部学士入学出願要項(PDF)

いまは外部の大学からも編入できるが、その代わり
 外国語試験・学科試験
が課される。京大の文学部の編入用外国語って、結構難しいかもね。
 3回生として使えるレベル
じゃないと、1年間棒に振ることになるので、若干厳し目の方が、後々のためにはよい。

わたしは、哲学科と文学科を一回ずつ、都合二回文学部を卒業している。全然威張れない経歴であるが、最初が印度学だったから、いいかな。印度学(仏教学・印度哲学・梵語梵文学)は中文に比べると体力勝負の専攻で、わたしの貧弱な体力では、到底編入してやっていける自信はない。
で、その頃は
 外部からの学士編入はなかった
代わりに
 京大の卒業生なら、どの学部の卒業生でも文学部に空きさえあれば編入可能
だった。学科試験はほとんど課されなかった。
 京大を卒業してるなら、基礎学力には問題ないだろう
という
 「身内」を信用する京都システム
が存在していたのである。
それでも、当然ながら
 医学部から文学部への編入
は皆無だったと思う。
で、3回生編入では
 卒業した時の外国語単位数
などが問題になって、教養に語学を取りにいかなくてはいけない場合もあり、この高鍬先生も
 理学部や医学部の語学単位数が少なかった
ので、
 フランス語を取り直す
ことになっているんだろうと思う。理系は最初から語学単位数が文学部より少ないからね。
わたしは教養はL4で、1年目はフランス語第一(週4コマ)英語第二(週2コマ)、2年目はフランス語週3コマ、英語2コマと毎年1コマ余計に語学があったおかげで、編入先が文学科だったこともあり、3回生編入時に語学の取り直しは不要だった。文学部でも、L1(英語第一・ドイツ語第二)とかL2(英語第一・フランス語第二)だと、語学単位不足で、取り直しが必要だった。国史から仏教学に編入した先輩が、必死になって語学を取っていた。仏教学は哲学科なので、必要語学単位数が少し多い。旧来の学科では哲学科に属する高鍬先生の科哲も同じだろう。

京大文学部の3回生編入では
 リタイア後の60歳前後の方達
は珍しくない。退職した校長先生とかが在籍してることがある。
高齢の編入学生の壁になるのは
 大学院入試
だけど、高鍬先生は大丈夫そうですね。
理学部・医学部卒で科哲なら困ることはあんまりなさそう。いまはどうか知らないけど
 大学院入試合格の最低条件の目安
は、
 専門科目は全優
じゃなかったかな。サボらず、演習でひどい失敗さえしなければ、そう難しくはない。あとは
 卒論80点以上
が条件だったと思う。
旧哲学科の院試は外国語が難しいから、それさえクリアできれば、大丈夫だろう。以前の学科分けでいうと、院試の語学難易度は
 哲学科>史学科>文学科
の順じゃなかったかなあ。旧哲学系では語学がクリアできなくて、院試で多浪するヒトが多かったんだけど、昨今はしんどい学科は人気薄だそうだから、少しはマシになってるかな。
研安!

国史から仏教学に編入した先輩は、院試の英語がクリアできなかったのが、専攻を変わるきっかけだったと思ったけど、印度学だと普段使う辞書が英語かドイツ語なので、いやでも外国語とは向き合わざるを得ない。その後は語学をブラッシュアップして、大学院へ進学、確か留学もしていたと思う。
英語英文学とか国史、国文でも
 外国語で落ちる
ことはある。それぞれ、専門の語学(日本関係はその時代の文献の読み込みだけど)が大変で、外国語をもう一つ別にやる時間がなかなかない、というのが落とし穴だ。英語は大学受験の頃のやりかたでリカバー可能だけど、フランス語・ドイツ語はそういう便利な受験用教材がなかったからね。卒論の出来がよくないと院に進学できないから、卒論には手をかけないといけない。英語英文学やアメリカ文学専攻で教養時代第二外国語に熱心じゃなかったヒト達は、泣きながら第二外国語の勉強をしていた。その当時は
 文学部に進学以降は院試までほぼ筆記試験がない状態
だったので
 試験勘を取り戻す
のも、大変ではあった。大学受験時には身についていたテクニックは3回生以降の2年間で見事に失われるのである。

ところで、学士編入の現在の募集要項では、
 言語学と英語英文学、アメリカ文学では外国語試験を課さない
が、
 いずれも高度な語学力を必要とする専修
なので、専門科目試験で何らかのフォローをしているんじゃないかと思う。
寮に言語学の先輩がいたけど、2回生の頃の時間割は、必修語学等の教養での科目以外に、文学部で
 イタリア語・ラテン語など数カ国語の授業
も取っていた。その先輩は、院には進まず、教職を取って、卒業後母校の高校の先生になった。たしか、国語の先生じゃなかったかな〜。教え子たちは自分たちが習っている国語の先生が語学のエキスパートだとは知らないんだろうなあ、きっと。

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