暗唱と書写 重偈について
メモ。
中国では初期の経典翻訳において、重偈の部分を「本体としてなかった」という問題。
本来は、頌偈の部分が最初期の仏典の骨子だったと思うのだが。
仏典は暗唱によって伝授されるのが、やがて書写に取って代わる(一部では暗唱による伝授は継続)、これは印度でのお話。暗唱が重視されるのは
釈尊は、説法をされた
からで、暗唱によって
如是我聞
が、再生産される。かつて釈尊の説教を聞いた弟子がおり、その仏典が口承によって伝えられることで、釈尊の説法の記憶が、その都度再現されることになる。
書写が重視されるようになると
写経の功徳
が説かれるようになる。『法華経』はこの段階の成立。
単行経だった『法華経』普門品の問題。
普門品偈はあくまで「おまけ」なのか?
もし、翻訳初期にそうだったとしても、現況、日本では普門品全部ではなく、普門品偈を読誦する方が一般的になっている。
先祖返りというわけでもないだろうけど。
しかし、記憶の便を考えると、散文部分より、韻文部分の方が記憶しやすいと思われるのだが。
『法華経』自体が成立がややこしい上に、普門品はさらに話が込み入っている。
散文と韻文の先後関係の話では、荒牧典俊先生の
中期韻文ウパニシャッドと散文ウパニシャッドの関係
を思い出す。
やっぱり、仏伝等の増広過程を考えても、散文部分が支配的というのは、納得しにくい議論。
たぶん、見ている時代と、中国語側から見るか、そうでないかの違いがあるのかも。
あとは布教の時にどうしたかだな。
中国では散文部分の方が受け入れられやすかったのか? それも疑義が残る。
唱導や梵唄などとも整合性が取れるかどうか、さらに考えないとなあ。
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