視覚を制御する
子どもの頃、もの凄く不器用だった。今でも、相当不器用である。
不器用の原因の一つは、
視覚が制御できてなかった
ことで、左右の目で見ているモノが違う
複視
の状態だと、見ているモノが途中で入れ替わったりするから、手元がおぼつかない。斜視のリハビリに使う機械に
黒い、交差した曲線の上を電気信号を発するペンでなぞって、外れるとアラームが鳴る訓練器具
があるんだけど、これが出来なかった。両眼視が獲得されていれば、間違いっこないのだが、複視があった上に、どうも右手の動きがおかしかったらしい。
それと、もう一つ、
握りばさみしか与えられてなかった
のも、不器用に輪を掛けた。幼稚園に行く前の子どもだから、
紙を切って遊ぶ
のは、毎日の楽しみなんだけど、握りばさみは子どもには扱いが難しい。柄に近い方の刃の角で、毎日のように親指に切り傷を作っていた。幼稚園に行ったら
工作用の洋鋏
を与えられ、普通に使うようになったので、怪我はしなくなった。
以後
適切な道具さえあれば、不器用でもなんとかなる
ということを肝に銘じた。アーミーナイフでなんとかするよりは、専用の道具を数揃える方が、わたしのように不器用な人間は、結局、楽だし、失敗しないで済む。
縫い物も好きだったけど、針で指先は穴だらけになっていた。これは手技がほとんどなので、起こりうるトラブルを回避できる適切な道具がない。編み物も同様である。反復して覚えていくしかない。
視覚の制御と、右手の制御は、わたしの場合は、ある程度連動していたのだろうと思う。
今でも、なにかあると、右手がひどく震えたりするから、子どもの頃は、外から見て分からない程度に、不随意に痙攣してたのではないかと思う。不器用だと笑われ、あるいは
怠けている
と疑われ、
やる気がないんでしょ
と叱られ、自分がいけないと思い込んでいたけど、結局、身体制御の問題だったんだろう、と今では思う。おおよそ、大人というものにとって
子どもの病気や障碍
は、自分たちの健全さを著しく傷つけ、脅かすものだから、特に何か障碍がありそうな時には、多くの大人は、最初は
見なかったこと
にしたがる。それが
健常者の「弱さ」
なのだが、そのことは誰も指摘しない。
右手の痙攣は幸い軽かったようで、かなりの年月を掛けて、普通のヒトと見た目は変わらない程度に、手を動かせるようになった。今でもいくつかの動作はできない。たとえば、中学〜大学まで必修になる体育実技の中でいうと
バスケットボールのドリブル
と
バレーボールのオーバーハンドレシーブ
ができない。それと
紐などを結んだり、ものを畳む
のが、大変にへたくそで、いまでもきちんとした、ほどけにくい蝶結びができない。紐結びのような手の動きが身につかないのは、片眼しか見えてなくて、立体視が出来ないのと、多少は関係があるのかも知れないけど。こういう運動は
文字通り、手を取ってもらわないと覚えない
のである。
見て覚えるということができない
のだ。
新しい運動を覚えるときは、ひどく時間がかかるが、その運動に必要な「回路」が頭の中にできてさえしまえば、それほど失敗はしなくなる。どこかで何か、他のヒトとは一つ以上余計な経路を挟んでいるのかどうか知らないけど、わたしに
体の動き
を教えようとするヒトは、本当に苦労する。ヒトの何倍も掛けないと、体が覚えてくれないからで、大抵は根負けしてしまう。見た目、普通のヒトと変わらないから、わたしの
飲み込みの悪さ
に、時間を掛けて教えてくれようとする親切な人たちが、絶望的な気分になるのは、致し方ないし、申し訳なく思っている。あるいは、体の動きが、立体ではなく、線でしかイメージできないからかも知れない。
たぶん、今も、わたしと似たような子ども達がいて、見た目は普通の子と変わらないのに、何か体を動かしてする、あらゆる作業の飲み込みが悪くて、
愚図だののろまだの
と罵られたり、
怠け者とか大人をバカにしてるとか
誤解されてるんじゃないかと思う。
その子達には悪気はないんです、とわたしから代わりに謝っておく。
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コメント
おお!
世の中には私とまったく同じ問題で苦しんでいる・苦しんでいた人がいるのだな,とわかりました。
私は右目が弱視に近い近視なのでものを立体的に見ることが苦手です。
体育の授業では球技は恐怖の対象でした。下手をすると自分の頭や顔にボールが当たるのですから。
さらに,ダンスなどの一連の動きを覚えるのも苦手で,体を使うことに関しては常に劣等感を抱いて
きました。
40歳を超えてから水泳を習い,泳げるようになった時,私の「体育コンプレックス」は少し軽減され
たように思います。
不器用とか鈍いと謗られる子供には同情します。何か原因があるはずです。
投稿: malte | 2011-02-08 14:47
一般的な大人の側であろう、私は、
何かができなくても、できるようになるやり方を探すとか、他の方法にするとか、無理にやらせないようにしようとおもいます。
ありがとうございます。
投稿: ゆぶたん | 2011-02-08 15:23
自分はそういう障碍はなかったのですが...。
発語が遅い子どもだったので(当時の家庭環境は記憶にないが滅茶苦茶だったらしい)、自閉症向けの施設にぶち込まれかけたり、小児喘息を患っていた時分は、喘息で苦しんでいるのに「呼吸法が悪いんだ」と父親から怒鳴られるだとか、「愚図」「のろま」「ぶきっちょ」だとか言いたい放題罵られて理不尽な扱いを受けて育ってきたので、このエントリは他人事に思えませんでした。
投稿: SY1698 | 2011-02-09 00:34