東北地方太平洋沖地震 喪失
今回の地震で大きな被害を受けた地域には、父方と母方の両方の出身地が含まれている。父方は岩手の黒沢尻、母方は祖父母とも青森の八戸だ。婿養子だった父方の祖父は、青森の黒石の出身である。
父方は、北海道に出てきてから、もう140年近く経っている。いずれ、黒沢尻にルーツ捜しに行こう、と言ってから、果たせずに過ぎていた。
そして3月11日。
津波が起きてから、ずっと、大きな喪失感にさいなまれていた。なにかが無理矢理もぎ取られたようで、胸の奥に悲しみが大きく蟠り、取り除くことが出来ない。
その理由がわからなかった。
家人が、
googleのPerson Finder
で、わたしと同姓の人たちがたくさん、人捜しをしているのに気がついた。
わたしも入力してみた。父方も、母方の祖父母も、いずれの姓も
100件以上見つかりました
というメッセージが表示される。母方の祖母の姓は日本中にたくさんある姓だが、父方と母方の姓は、そう多い姓ではない。黒石の祖父の姓で探すと、100件よりは少ないけれども、それでも30人以上が表示された。
おそらく、相まみえることのできなかった遠縁の人たち、遠縁ともいえないほど薄いけれども、どこかでつながりのあった人たちがたくさん被害に遭われたのだ。
母方は、八戸とのつきあいを把握していた伯父夫婦も伯母も亡くなってしまい、伯母より10歳年下の母では、どんな親戚がいたのか、わからない。母は小学校低学年の頃、八戸に行ったきりである。
事態が一段落したら、岩手に行こう。八戸に寄ろう。
思えば、昨年夏、東北・秋田新幹線で、盛岡から秋田へ抜けた。次はゆっくり岩手に行こう、と思っていたのだが、次に見る岩手は、相貌を変えてしまった。
北海道出身者は、東北にルーツを持つ人が多い。恐らく、同じような思いを持つ道産子は少なくないだろう。
一度黒沢尻の元の檀那寺にお参りしたことのある札幌の叔母に電話したら
そうなの! もう、ルーツ捜しは難しくなったかも知れないわね。
と溜め息を洩らしていた。札幌の家の仏壇には、渡道前の先祖の戒名が記されている過去帳がしまわれてある。
叔母に、
遠縁の人たちがたくさん亡くなっているかも知れないから、よく仏様と神様を拝んで置いてね
と頼んだ。黒沢尻から出てきたとき、土地の稲荷を札幌に勧請した。近所の伏見稲荷がそれだと聞いている。人付き合いは絶えていても、実家の仏壇と神棚は、今もルーツにつながっている。
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