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2011-08-11

イギリス在住の元国連職員May_Romaさんがtwitterで逐次語るロンドン暴動(番外編)天安門事件当時を思い出す

89年の6月当時、中文の学生だったわたしは、家にテレビを持たず、ニュースは研究室のテレビで見た。3月まで北京にいたので、天安門事件は、極めて身近なものに感じたし、先生方も
 あなたもいい時期に帰ってきましたね。もう少し遅かったらどうなっていたか。
と仰った。
当時、研究室には、中国からの留学生がたくさん在籍し、6月4日当日からは中国との連絡が杜絶する場合が多く、とりわけ北京に家族を残してきた人たちは、1週間ほどは音信不通になってしまい、心配の余り、眠ることも食べることも出来なくなってげっそり痩せる人もいるほどだった。その内、密かに中国国内の状況を知らせるFAXが転送されてきて、全国の大学の中国学関係で留学生のいる研究室などに出回るようになった。それは、戦車に轢き潰された若者たちに荷担する人たちからのFAXだった。

同じ頃、たまたま北京で国際学会が開かれていたのだったか、それともなにか招請があって行かれたのだか、お二人の先生が天安門事件前後の北京にいらして、なんとか帰国された。先生方は、
 橋に吊された解放軍兵士の写真を撮った
そうで、その解放軍兵士は、北京市民にリンチされて殺されたのであった。写真を撮っているところを公安に見とがめられ、追いかけられたが、走って逃げた、という話だった。
片方の先生は、ご自身が当代文学(中国の現代文学は1919〜1949年、当代文学はそれ以降の文学を指す)の専門家だというのもあって、
 革命状態だ!
と興奮されていたのだが、それを伺っている研究室の学生・院生の反応は内心
 革命なんて起きっこない
という冷たいものだった。実際、革命は起きなかった。

ロンドンの暴動についてのtwitterを見ていて、なぜか思い出した。

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