ありがとうトルコ 紀伊半島大水害に121年前の恩返し
トルコの人たちは義理堅い。
今回の紀伊半島大水害に、またも
121年前の恩返し
として、救援してくれている。日刊スポーツより。
トルコから和歌山へ 121年分の恩返し121年前の恩返しが、和歌山県の復興を後押しする。1890年(明23)に同県串本町沖でトルコ船「エルトゥールル」が沈没し、地元住民に救助されて以来、トルコは日本との友好関係を継続。台風12号による紀伊半島豪雨を受け、都内のトルコ寺院を救援物資の集積所として提供している。トルコ大使館は、今後の人的・物的支援を予定。東京・六本木のトルコ料理店は、和歌山県内の被災地で出店する意向を示すなど、支援の輪が広がり始めている。
トルコ寺院「東京ジャーミイ・トルコ文化センター」の地下室には、下着や衣類、紙オムツ、即席ラーメンが入った段ボールが積まれていた。台風12号の被災地は、個人からの少量の支援物資を受け付けていないため、全国からの小口荷物をいったん、同寺院に集積。大口荷物にして、第1便の4トントラックを13日に和歌山県庁に送った。
20日にも第2便が和歌山に向かう予定。支援活動の担当者は「トルコと縁の深い串本町は、比較的被害が少ないため、和歌山県庁で状況に応じた配分をしてもらうつもり」と話した。
トルコと日本の絆は、121年もつながっている。初のトルコ使節団を乗せた軍艦エルトゥールル号は、1890年6月に横浜港に到着。同9月にトルコに向かって出港したが、台風による荒天で和歌山県串本町沖の紀伊大島で座礁、沈没。乗組員約600人が死亡する大惨事になったが、島民の献身的な活動で約70人を救助。手厚く看護し、日本の船でトルコへ送った。トルコはこの恩義を忘れず、今回の紀伊半島豪雨でも、串本町を含めた和歌山県の支援に乗りだした。
トルコ大使館文化広報参事官室の大森正光氏(33)は「困った時に助け合うのが、真の友。トルコも自然災害が多く、共感する気持ちがある。今後は物資だけでなく、人的支援も含めて継続的に和歌山県をサポートしたい」と話した。1985年(昭60)のイラン・イラク戦争では、トルコ政府が日本人救出のための特別機を飛ばし、イランからトルコへの脱出をアシスト。99年のトルコ北西部地震では、日本がいち早く救援隊を送るなど、相互救助の歴史を積み重ねている。
東京・六本木のトルコ料理店「デニズ」は、要請があれば、被災地で出店する意向を持っている。店員のトルコ人カヤ・ハリルさん(34)は「出店でも何でも、力になれることがあれば手伝いたい。トルコ料理はおいしいし、日本人の口に合うと思う」と話し、地元の肉料理「ケバブ」を勧めた。両国の相思相愛の関係は、復興支援という具体的な形になろうとしている。【柴田寛人】[2011年9月18日8時45分 紙面から]
ありがとう、トルコ!
紀伊半島南部の
土砂ダム(堰き止め湖)
は、予断を許さない状況で警戒が続き、場所によっては現地で作業することはおろか、現地入りすらままならず、いまだ被災地の復旧もおぼつかない。
NHKより。
十津川 野迫川 警戒続く
台風12号による豪雨でできたせき止め湖ではこれまでのところ異常は確認されていませんが、十津川村では、警戒区域に設定されている地区に人が立ち入らないよう呼びかけを続けています。
十津川村で警戒区域に設定されている地区の手前にあたる十津川村高津の国道168号線では、立ち入りを禁止する柵と看板が設置され、県の職員や警察官が立って通り過ぎようとする車に引き返すよう求めていました。
せき止め湖に伴う土砂災害に備え、村では3つの地区が警戒区域に設定され、警察や消防団も人が立ち入っていないかパトロールを続けています。
村役場では今夜もおよそ20人の職員が泊まり込み、せき止め湖の下流に設置されたカメラの映像や水位などを監視することにしています。
また、野迫川村では17日午後、国土交通省近畿地方整備局の職員などが北股地区にできたせき止め湖に水位計を設置するため向かいましたが、現場に続く杉林の足場が悪く安全性を確保できないとして、作業は見送られました。
村の役場では今夜も職員が泊まり込み、せき止め湖の下流にあるカメラの映像を確認するなど警戒を続けることにしています。
09月18日 10時23分
今日の奈良は、ただいま曇り空。
雨にならないといいのだが。
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