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2011-10-14

高田時雄・尾崎雄二郎『小川環樹 中國語學講義』(映日叢書) 臨川書店 2011 3150円

先師小川環樹先生の講義録。いとおしむように、少しずつ読んでいる。
講義録は、先師尾崎雄二郎先生のノートに基づく。小川先生の口吻を片言隻句も書き漏らさないよう、周到かつ綿密に取られたノートがあった。そのノートを、高田時雄先生が今の世に送った。
講義にテープレコーダ等録音機を持ちこむなど、およそ難しかった時代、ペン書きで記されたと思われる尾崎先生のノートが、往時の名講義を伝えた。万年筆をお使いになったのだろうか。つけペンだと、恐らく、インクを足す時間が必要になるので、これほど詳細なノートを作るのは難しいのではないか。
元になったノートは4冊、収録された講義は4つ。
 中国小説史 1948年10月25日〜11月6日(集中講義)
 中国語方言学史 1949年11月5日〜16日(集中講義)
 語義沿革挙例 1950年9月20日〜1951年2月7日
 中国音韻史 1950年9月25日〜1951年4月18日
最初の二つは、小川先生がまだ東北大学におられた時期のもので、京大に集中講義に来られた時のものだ。後半の二つは、京大に着任された後のもので、それぞれ半期の講義である。

当時の中国学の水準から考えるに、これほど高度な内容を、細大漏らさず筆記された尾崎先生という極めて優秀な学生がその場にいたから、この講義は保存された。
実際問題、京大文学部の学部の授業というのは、今でも、学部生および大学院生向けとして開講されている場合がほとんどで、学部の講義と言っても、相当に高度な内容を含む。京大の文学部学生の誰もが経験するのだが
 3回生の頃のノートは間違いだらけ
で、先生方が板書されず、
 この分野を勉強する者なら常識
として、コメント抜きで仰る、人名や術語は、3回生にはちんぷんかんぷん、時には
 修士等学年が進んでから、間違いに気づく
などということもある。授業を受けながら、ある日
 あ、あの時の授業のあのtermは、こういう意味だったのか
と霧が晴れるように気がつくというわけなのだ。印度学ではこうした
 3年殺しのterm
が山ほどあった。元がSanskritだったり、漢訳仏典からの術語で特殊な読みだったりするから、教養から上がってきたばかりの3回生が太刀打ちできないのは、むべもない。

本書に収録された、小川先生のこれら四講義は、いずれも戦後まもなく、まだ出版事情のそれほどよくない時期のものである。今のように、簡単にコピーも取れない時代に、up-to-dateな内容を豊富に含む講義を筆記するためには、相当な知識がないと難しかった。

ほんの僅かな期間だけだったが、小川先生と尾崎先生の謦咳に接する機会があったのは、今にして思えば、幸せなことだった。
ページをめくる度に、これほどの講義を当時準備された小川先生、その講義が再現されるかのようなノートを取られた尾崎先生、この両先生の学問に対する厳しい姿勢に、背筋の伸びる心持ちがする。

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コメント

ROM専の今井です。いつも興味深く拝見しています。
小川環樹先生と言えば、中学のころ岩波の三国志演義で接した名前で、懐かしく思い出しました。結局私は中国学には縁なく成長してしまいましたが、小川先生にお会いされたことがあるとは、実にうらやましい話です。いいお話をありがとうございました。
それにしても考えるだに恐るべき三兄弟ですよね…

投稿: 今井 | 2011-10-14 08:30

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