「視覚障碍者」=全盲・点字使用者という誤解
次の論文は面白いし、よくまとまっているのだが、大変に気になることが一つある。
視覚障害者の読書環境の歴史― 1985 年以降の電子書籍に注目して―
文章を読むとわかるのだけど
視覚障碍者=全盲で点字使用者
とデフォルトで考えているフシがあるんだよね。
以前調べたことがあるのだが
視覚障碍者で点字の読める人は視覚障碍者全体の1/10であり、全盲であっても、点字の読めない人は3/4近くに上る
のである。
「音訳の部屋」 朗読奉仕のための読み紹介サイト 点字が読めるのは、視覚障碍者の10人に1人 全盲の人の3/4近くは点字が読めない
駅に点字表示がたくさんあったり、電車や公共の場所にあるエレベータ等に点字がついているから
これで視覚障碍者への備えはばっちり
と、たぶん、点字表示をつける側も、点字表示を見かける視覚障碍じゃない人達も思っているだろうけれども
白杖を持って歩いている視覚障碍者全員が「点字が読める訳じゃない」
のである。むしろ
圧倒的多数の弱視の人達は「文字を大きくした表示」が必要
だ。駅の表示等で拡大版を作るのはムリなので、基本的には直接尋ねたり、案内してもらうことになるのだが、当然
いろいろな説明を書いた文書等も「拡大印刷版」が欲しい
のだ。
うちにも、時々、役所や福祉関係の団体等から
点字の文書
が届くのだけど、わたしは普通学級で教育を受けているから、点字はもちろん読めないし、そもそも弱視なので、墨字(普通の文字のこと、点字に対してこう呼ぶ)しか読めないよ。最近は
点字+墨字
で届くことが増えてるからいいものの、以前は、点字版しか来なかったこともあり、途方に暮れた。もちろん、送ってきた機関にはすぐ電話をかけて
済みません、点字が読めないので
と、事情を説明した。ま〜、わたしの視力で普通学級しか行ってないのは、
想定外
だったかもしれないけど、今は、そこらのコンビニでも簡単に拡大コピーができるたりするのだから、相対的に弱視者は目立たずに暮らしている。
もっとも、役所等で書類を書くのは、字が小さすぎたり、周りが暗かったり(わたしの場合は、暗いと全然見えない)するとアウトなので、そういうときは、担当の人に代わりに書いてもらっている。学生の頃、一度、京都市の某区役所の窓口で障碍に関して暴言を吐かれたことがあり、それ以来、役所に行くのは苦手、役所で文書を記入するのはもっと苦手だ。奈良市役所は、その点、親切だけどね。
で、上記論文では
晴眼者
という言い方を
視覚障碍者に対立する形で使用
しているんだけど、指導教官は誰なんだ。
こうした
視覚障碍者には「点字」さえ与えておけばいいという「誤解」
は、
視覚障碍者の大部分を占める、そもそも点字の読めない弱視者にとっては脅威
なのである。
弱視者に対する「拡大印刷板」が常備されない現状
を、後押ししてるのが
ええ? 視覚障碍なら、点字版だけ用意しておけばいいですよね
という「誤解」だ。
弱視者には「拡大印刷版」が必要
であり、上記論文ではスルーされているけれども
アメリカでは弱視者のための「拡大印刷版」の歴史
がある。ベストセラーが出ると、
拡大印刷版とカセットテープなどの音声版も一緒に発売
されていた。
視力の悪い人にも、等しくベストセラーを供する
ということが、普通に行われていて、価格もバカ高くはなかった。
最近は、電子書籍があるから
拡大は端末さえあれば比較的自由
になり、この手の
視覚障碍者の「情報ギャップ」
は、以前と比べれば、格段に解消されやすくはなってきた。でも、
紙の文書はなくならないし、よく使われる
のだから、
普通印刷・点字
と用意するなら
拡大印刷版も少部数含む
というあり方が望ましい。
そもそも、
点字の文書を作るのは大変
だし、
福祉関係の文書を作る部署にそんなに人手はかけられない
のに、
わざわざ手間をかけて作った点字文書を、点字の読めない視覚障碍者にも送ってくる
ってことは
視覚障碍= 点字でしか読み書きできないという「誤解」がその源
なんだ。わたしは、その手間がもったいないと思うし、そうした
善意が空回りしてしまう事態
は、今後、高齢化によって視覚障碍者がより増加し、そしてそういう人達は
健常者から視覚障碍者に移行
したわけで、点字教育を受けてないから
ほぼ点字が読めない
ことを考えると、できるだけ回避して欲しい。
弱視者向けに拡大活字版を用意する
という発想を、福祉関係者にも共有して欲しいと願う。
厳しくいうのは、上記論文が
2011年に発表された大学院生の公共領域の論文
だからで、公共領域専攻でこの理解なのだとしたら、
研究科内で同じ共通認識
だろうと思う。それは彼らの問題と言うよりも、研究科内の指導の問題だろう。てか
2011年になっても、まだこの認識なの?
というので、朝からすっかり悲しくなっている。
確かに
点字を習う・使う・使えるようにする
のは、
健常者には「カッコいい」
のかもしれないけど、
カッコよさだけで、視覚障碍者の多数を占める弱視者が困っている現状をスルー
されるのは、ちょっとね。
| 固定リンク
« 金正日総書記死亡(その6)対社会主義国家リテラシーの劣化 日本のメディアは何してた→防衛省も大丈夫か→民主党政権は「朝鮮半島有事研究」を不作為でスルー | トップページ | ただ今全日本フィギュア観戦中 »
コメント
おっしゃるとおりだと感じるのですが、一点だけ質問です。
「晴眼者という言い方を視覚障碍者に対立する形で使用している」ことの、なにが問題なのでしょうか? 晴眼者という表現をつかっても、弱視者の存在をきちんと認識することはできますよね。
最近は、「視覚障害」と表現するのではなくて、「見えない人、見えにくい人」というふうに表現することがありますね。本の題でいえば、『見えない・見えにくい人も「読める」図書館』というのがあります。
投稿: あべ やすし | 2011-12-24 00:27
あべやすしさん、コメントありがとうございます。
引用した論文で「晴眼者」という言い方と「視覚障碍者」を対立する形で使っているのが、引っかかるという話です。
視覚障碍の様態は、それこそ千差万別で、「晴眼者」という言葉は、そこら辺をあまり考慮してない言い方ではないかな、と感じています。
ちなみに、普通学級で育つと、障碍者コミュニティとはほとんど縁がないので、大学の頃、朝日の「聖明・朝日盲大学生奨学金」への応募資格があったのに、「盲人協会からの推薦」が必要で、応募を断念したことがあります。
投稿: iori3 | 2011-12-24 01:15