陳松長湖南大学岳麓書院副所長「岳麓秦簡『占夢書』的結構略談」小曾戸洋北里研究所東洋医学総合研究所・医史学研究部長「古医書の形態変遷―馬王堆から近世和刻本まで」@1/7 人文研武田班
横浜から新幹線で帰って、人文研武田班に直行。非常に意義深い、出土資料に関する報告を聞く。
特別講演
陳松長「岳麓秦簡《占夢書》的結構略説」
小曾戸洋「古医書の形態変遷―馬王堆から近世和刻本まで」
がその題目。
まずは陳松長先生の講演から。
内容は、前半が
香港から買い戻した「岳麓書院簡」について、および、同じ業者から出た「精華簡」「北大(北京大学)簡」との比較
後半が
岳麓書院簡中の秦簡『占夢書』の文献学的位置づけ
について。
で、巷間よく言われる
北大簡の「綺麗さ」
を確認することが出来た。「北大簡」は、入手後、すぐに釈読可能なほど
綺麗な簡牘
であるのに比して、
岳麓書院簡は、全体が黒ずんでいて、しばらく蒸留水に漬けておかないと、釈読できないほど汚れていた
のが、岳麓書院での作業を撮影した画像でよくわかった。なるほどね。ちなみに、しばらくの間、水に漬けておいた岳麓書院簡は、かなり簡牘の表面から渋が抜けて、文字が判別できるようになっていた。
入手時の岳麓書院簡は
乾麺のような状態
で、非常に脆く、しかも、簡は竹を編んだと思われる箱に入っていて、その箱も腐爛していたので、そうしたものを取り除き、かつ一塊になってしまっている簡を、一枚一枚剥がすところから作業が始まっているとのこと。剥がす過程で、簡が割れたり、壊れたりするので、整理は相当にやっかいだ。なんせ、塊を水につけた段階で遊離しちゃうものがあるので、これは大変。岳麓書院簡は全部で
八塊
あったとのこと。
北大簡は、
簡を編んだ縄が一部残っている
ものがあったり、
簡を入れている竹を編んだと思われる箱も、岳麓書院簡のものより残存状態がよい
のがわかった。
ちなみに
北大秦簡は未発表
であり、今後の発表・刊行が待たれる。
岳麓秦簡『占夢書』には、驚くべき内容が含まれていた。中でも
神の名前
に
殤
があるのが注目される。『楚辞』九歌中、「國殤」は解釈が難しいものなのだが、出土文物からこうしたものが出てくる以上、更に考えねばなるまい。後で陳松長先生に『楚辞』と小南一郎先生の話をしたところ、非常に喜んでくださった。陳松長先生の発表では
殤の名が包山楚簡に含まれる
ことも指摘されており、今後の一層の研究が俟たれる。
小曾戸洋先生の発表では、かつて人文研が出版した
新発現中国科学史資料の研究・訳註篇
に掲載されいる
『五十二病方』の釈読の誤り
を指摘された。すなわち、
人文研の釈読は、その後中国で出版された『馬王堆漢墓帛書 肆』所載の『五十二病方』写真版と釈文を勘案してない憾みがあり、かつ帛書の「折りたたまれ方」を考慮に入れていない杜撰なもの
という内容である。小曾戸先生は5年ほど『五十二病方』の写真版とにらめっこして
帛書の畳み方が、やや乱雑な畳み方であったのだが、出土後、整理するのに剥がす際、普通の順序で剥がしてしまったため、現状の写真版等の順序が、本来のテクストの順序とは大きく異なっている部分がある
のを発見されたとのことだった。それを実証するために、わざわざ『五十二病方』のテクストを帛書の形態に倣って並べたコピーを作って配られたので、班員が実際に畳んでみて、小曾戸説の正しさを実見することができた。
なお、小曾戸先生のみるところでは
整理時に、「文字の書かれてない部分」を廃棄してしまっているのでは
とのこと。たしかに『五十二病方』の写真版に
空白部がほとんどない
のは、おかしい。
新年早々、大変に興味深く、知的刺激に満ちた二報告を耳にすることが出来て、実にめでたい。
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