「家」さえ続けば(その2)代々のお家柄
2012-02-18 「家」さえ続けば
http://iori3.cocolog-nifty.com/tenkannichijo/2012/02/post-da7c.html
の続き。
DNA継承至上主義の現代だと
代々のお家柄
というと
その家のDNAが現在の子孫に確実に受け継がれている
と勘違いするが、系図をよく見てみると、実はそうではないことが結構ある。
家が絶えないようにするために、養子を取る場合、血縁から取るとは限らない。
たとえば医家のように、学術・技術の家柄の場合は、
優秀な弟子を養子にする
ことがあるが、最初はもし娘がいれば、娘と結婚させたりするけれども、
出産での母子死亡率は非常に高い
わけで、お産や産後の肥立ちが悪くて妻が亡くなることはまれではない。さて、この場合、
家付き娘に子どもがいるかどうか
は別として、
後添いを迎える
ことは少なくない。その場合は、血縁かどうかはもはや考慮されていない。もし、考慮されるとすれば
縁組に釣り合う「家格」かどうか
で、家格は前にも言ったように
釣り合う家の「養女」とすることでいくらでも上書き可能
だ。
そして、子どもの死亡率も高いから、たとえ家付き娘の産んだ子どもがいたとしても、成人に達するとは限らないのだ。
多数の子どもが生まれたとしても、最後まで育つことがない場合もあって、そうなると、次代も養子を取ることになる。もちろん、現代の人々が悩むのと同じように
子どもに恵まれない場合
もある。それどころか、妻を迎えないこともある。その場合は、必然的に養子を取る。
そして、子どもがいたとしても、
不肖の子
であれば、実子を退け、迷いなく、家を継承するのにふさわしい才能を持った他人を養子に迎える。家をつぶすよりは、その方が遥にマシというのが、江戸時代の判断である。
結局、
必要なのは家の存続
であり、DNAではないのだ。この辺り、うっかりしていると、現代のDNA継承至上主義の影響で
江戸時代以来の代々優秀な家系
とか、信じてしまいがちだが、そんなことはまずないので安心して欲しい。
親類から養子を取ったとしても、その親類自体が、すでにそれまでに養子夫婦を入れたりしてるから、「一族の血筋」はそこで途切れている。確実なのは
家が続いている
という情報だけだ。
養子による相続では、続柄が本来の血縁関係とは異なってくるわけで、中には、まったく血縁がないのに「親類」等になってしまうことがある。だから、江戸時代の公的な親類書や遠類書には、必ず、
表向はこういう血縁関係があるようになっていますが、実際には血縁関係はありません
と断り書きがついている。
江戸時代の公的な親類書や遠類書が現在も残っているなら、その家の血縁姻戚関係の確認のしようもあるが、そうではなく、何の証拠となる公的な書類もないのであれば、
代々の家柄
と言われても、それは残念ながらある種のフィクションなのであり、若い人達が、そうしたフィクションから構想された
DNA継承至上主義圧力
に苦しめられる必要はない。自分の家の旧民法下の除籍謄本を取っただけでも、いろんな知らないことがわかったりする。
戦後の「家」はその辺りをすっ飛ばしてるから、余計、わかりにくいし、「家」幻想に基づく変な圧力をかけるよね。
| 固定リンク
コメント