中国で一昨年突然消息を絶った3人の歴史学者が非公開裁判で有罪に 原因の1つは「江沢民の実父は漢奸(売国奴)説」
この手のニュースは、いつも産経が早めに掲載してくれる。元は共同。
中国学者に懲役10年 江前主席実父の疑惑追及
2012.2.8 22:50香港の人権団体、中国人権民主化運動ニュースセンターは8日、湖南省邵陽市の歴史学者、呂加平氏(70)ら3人が共産党や政府を批判する文章13編を発表したとして国家政権転覆扇動罪で懲役10年などの判決を受け、確定したと伝えた。呂氏は江沢民前国家主席の実父をめぐる経歴疑惑を追及。江前主席が日中戦争で活躍した江上青氏の養子となった経緯について「江前主席の実父が日本軍の協力者でその経歴を隠そうとしたためだ」と主張していた。
センターなどによると、呂氏ら3人は2010年9月に中国当局に連行され、11年5月13日、北京第1中級人民法院(地裁)で有罪判決を受けた。弁護士は中国当局が指名し、二審は開かれないまま確定した。裁判は非公開で、家族にも拘束などの事実は知らされなかったという。(共同)
こういうときは香港メディア。明報の特報。
3史學家控顛覆罪 秘判重刑
2012-02-09【明報專訊】内地3名異見歴史學家呂加平、金安迪、于鈞藝失蹤多時後,昨日證實分別以「顛覆國家政權罪」重判,其中呂、金2人已經收監。3人在2000年至2010年編寫多篇文章,批評高層領導人、一黨專政以及反貪腐不力。
相繼失蹤 最重囚10年
總部設在香港的中國人權民運信息中心消息指,3人從2010年9月相繼失蹤,近日于鈞藝獲得自由後,外界才首次確認,呂加平在去年5月被北京第一中級人民法院以「煽動顛覆國家政權罪」判監10年,金安迪、于鈞藝分別以同一罪名被判8年和3年徒刑,後者獲緩刑5年。判決書指3人編寫《共産黨一黨專政體制的由來》等13篇文章,「妄圖達到顛覆我國國家政權和社會主義制度的目的」,3人煽動顛覆國家政權罪成立,且「罪行重大」。
この記事によると、
・呂加平、金安迪、于鈞藝の3人の歴史学者は2010年9月相次いで失踪、家族も行方を知らなかった
・于鈞藝が最近自由になったので、何が起きたかわかった
・非公開裁判で呂加平は10年、金安迪は8年、于鈞藝は3年の懲役を言い渡される
・罪状は「国家政権の反覆を煽動した罪」
・呂加平、金安迪の2人は収監されている。
・于鈞藝は執行猶予5年がついた
・逮捕された原因は3人が2000〜2010年までに書いた論文「共産党一党独裁制度の由来」など13編の文章
・これらの論文には「我が国の国家政権と社会主義制度をみだりに転覆しようとする目的」があり、「罪状は重大」である。
とのこと。于鈞藝を釈放したのは
世間に実情を知らせて「引き締めを計る」つもり?
なのかね。謎だ。
で、
江沢民の実父は漢奸(売国奴)説
なんだけど、普通に知られている模様。昨年4/11付サーチナより。
江沢民前主席の“養父”江上青の生誕100年記念、盛大に=江蘇2011/04/11(月) 17:01
中国共産党浙江省委員会、同省揚州委員会は10日、江沢民前国家主席のおじで、中華人民共和国成立前に同省共産党の幹部を務めた江上青(1911年4月10日-1939年7月29日)の生誕100周年記念の座談会を開催した。江上青は中国で、父親を亡くした江沢民前主席の養父とされている。中国新聞社が報じた。
中国共産党中央政治局委員で、政府内では国務委員を務める劉延東氏も座談会に出席し、「盛大に開催された」という。出席者は、江上青の一生を戦闘に捧げた輝ける功績を称え、革命精神と高貴な人徳の学習を呼びかけた。
座談会では、江沢民前主席による「満江紅・江上青百年生誕祭」との題の、新作の詩も朗読された。同詩は11日付で人民日報が掲載した。**********
◆解説◆
江沢民前主席の実父、江世俊は日本の特務機関に協力していたとされる。早く死去したため、江上青が遺児である江沢民前主席を養ったという。ただし、江世俊は長男で江上青は六男であることから、中国の家族習慣からみて江上青と江沢民前主席が養子縁組をするのは異例であり、「対日協力者の息子」とのレッテルを薄めるため、共産党にとって大きな功績がある江上青の養子との形式にしたとの見方もある。
中国側の説明では、江沢民前主席の実父である江世俊は、日本の傀儡(かいらい)政権である南京の汪兆銘政府の宣伝部副部長を務めていた。中華民国政府は、敵対していた汪兆銘政府の課長以上の職員を「漢姦(民族の裏切り者)」に指定し、中国共産党も同指定を踏襲(とうしゅう)しただけという。
江上青は1937年に、匪賊(ひぞく)との戦いで死去した。(編集担当:如月隼人)
この記事の解説後半は、中国語のwikipediaとほぼ一緒なんだけど、一ヶ所違うのは
実は江沢民の実父江世俊は1973年まで生きていた
ってことで、
1939年に死亡した江上青の「家を継ぐ」ために江沢民を養子にした
ことになっている。上記記事だと
江沢民の実父が死んだから叔父江上青が引き取った
ように書いてあるけど、話は逆。
しかし
文革期まで「漢奸の江世俊が生きていた」
ってことになるわけだが、普通に考えて、
なぜ73年に死亡したのか
と思うよね。73年というと、
8月から批林批孔運動が始まった
わけで、いろんなものが槍玉に挙がった。
ごく普通の「吊し上げ」による暴行
を受けなかったとしても、このとき、江世俊は78歳と高齢ではあった。
江世俊江世俊(1895年-1973年),號冠千,江蘇揚州人,祖籍安徽徽州婺源縣(今屬江西省),曾任汪精衛政權宣傳部副部長兼社論委員會主任委員。前中國共產黨總書記兼國家主席江澤民的生父。他也是江石溪及其前妻的兒子之一。弟江世侯(=江上青)為中共革命烈士。
早年生活
出生在江家村,還在他幼年時期,就隨父親一起來到揚州,現在已經無法考證他啟蒙的私塾,但他的學業十分的優秀,因為他考上了當時由狀元張謇創立的兩淮中學堂。這是揚州第一所公立的西式正規中學,1927年改名為揚州中學。
江世俊同樣具有才氣,他熱愛寫作,通曉國文,畢業後,作為長子,可惜他不得不停止他寫作,去通明電力公司工作,以養家糊口,而與他同窗的另一位才子,卻成了中國現代文學史上的一位大文豪,他就是朱自清先生。江世俊在江世侯殉難後,把自己的兒子江澤民過繼給他,以承香火。漢奸問題
在抗日戰爭期間,江世俊號稱「江冠千」,擔任金陵汪精衛政府宣傳部副部長兼社論委員會主任委員。按照國民政府《懲治漢奸條例》和中國共產黨以往慣例,偽軍科級以上公務員,就定為漢奸。 [1]
(以下略)
で、呂加平は2003年に、江沢民の「歴史問題」と公称の入党時期に対して疑問を呈している。
転載されているのはこちら。途中までしかないみたいだけど。
2003年3月30日 星期日 致胡錦濤!江澤民的歴史問題和入黨時間的幾大疑點 呂加平
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コメント
こんにちわ
ご存じだとは思いますが、こんな記事を思い出しました。
http://lynceus.seesaa.net/article/92145269.html
Lynceus :: 傷との対話
根拠の確かな話ではないと思いますが、いかにもありそうだなと思ったことを思い出します。
投稿: 今井 | 2012-02-09 10:32