「家」さえ続けば
年度内に単行本を出す予定なので、海外調査の後は、原稿を詰める。版下を作ればいいので、まだ間に合うのだが、問題は注釈だ。
幕末の記述で、順養子の出した遠類書を読んでる(当然ながら御家流の写本)んだけど、順養子だから、兄弟が親子になり、遠類書の親族関係も世代が一つずつずれているわけだ。
まさか、
親族名称
を、再確認するハメになるとは。
もひとつわからないのは、
何番目の姉がどこに嫁に行ったか
で、たぶんこれだろう、とは推察できるんだけど、確証はない。
ま、兄弟姉妹に命名規則があるのを発見したので、たぶん、間違ってないだろうと思う。
で、この家に限らず、江戸時代は
「家」さえ続けば「血筋」なんて二の次
の時代なのである。そりゃ、血筋が続けば万々歳なんだろうけど、どうしたって子どもに恵まれなかったり、生まれた子どもが跡継ぎにふさわしくなかったりする場合は
家をつぶしたり、家名を汚されないため
に
養子
を取るわけだ。大名や旗本だけじゃない。特に、才能が必要な職業ではそれは顕著で、医師の家柄だと、しょっちゅう、あちこちから養子を取って家を継がせていたりする。ただの血のつながりなど、医業を代々続けていく重要性の前には役に立たないのである。しかるべき若者を見つけて、家を継がせる。その若者がやはりダメなら
離縁
して追い出し、次の後継者を捜すわけだ。これを続けていくと、同業あるいは類似の業界との通婚圈が出来上がり、当然ながら情報交換も行われるという寸法。医師は、一般的な身分の外にあるから、才能と機会さえあれば、相当な身分移動が可能だった。才能ある若者が見いだされると、新たに「家」を上書きされて、この通婚圈の中に入っていくわけである。将軍家の奥医師は、代々の奥医師の家柄から世襲で選ばれる者もあるけれども、一代の才を抜擢されて奥医師に任じられることもある。
女子の婚姻でも、
ふさわしい家柄同士の縁組
に整えるために、上位の家に一時的に養女に出したりしている。この辺りは、以前、NHK大河『篤姫』でかなり詳しく描写していたから、広く知られているだろう。
ちょっと乱暴に言えば、出自なんて、いくらでも書き換えられたのだ。後は本人の努力次第。
DNA継承至上主義になっている現代日本の方が、ひょっとしたら逃げ場がないという意味で、息苦しいかも知れない。
最初にDNA継承至上主義の息苦しさを感じたのは、もう30年くらい前だけど、とある地方都市、戦後の民法改正で、長子相続じゃなくなって、誰もが
自分の家
を持てるようになった、その最初の世代が
自分の血筋
ということにやたら固執しているのを見たときだった。地域の商店街の老舗でも何でもない、普通の小さなお店で
うちには娘しか居ないから、家を継がせるには婿を取らなきゃならん
とか、そんな話がごろごろしていた。実際は
家=若干の財産と家業、それより何よりDNAの継承
である。大体、そんなところにムコさんの来る当てもなく、娘は、ちょっと気が利いた子であれば、さっさと結婚相手を見つけて、家から逃げ出していった。
あほかいな
と思った。ぶっちゃけていってしまえば、親のエゴを子どもをダシに使って、拡大再生産したいというのが、この
戦後の「家」
という奴ではなかったのか。
最近は、「家」はともかく
血筋への固執
が凄いと思う。生殖医療が進歩すればするほど、DNA継承至上主義はごく当たり前のような顔をして、そこらを闊歩している。
| 固定リンク
コメント
去年、興味本位で自分の係累の戸籍を探り出し、その過程で昭和改製原戸籍を見たことがあるのですが、あれは「家長」第一主義ですから、若いうちに本人が亡くなった場合、妻やその父母ではなく、長男が(未成年であっても)戸主になるという不思議な現象を確認しました。
おそらく、ご指摘された例というのは、戦後法改正の影響で「戸主」になったことの悪影響だろうと思います。「戸主」制度が崩壊しながらも、「家」的志向だけが(個人の中で)強まったということでしょうか。2~3代遡ったら普通の家柄でしょうに、何をそこまで、という話は「家庭板」でもよく出てくる話なのですが、なんとも不思議な話です。
投稿: SY1698 | 2012-02-19 16:28