「医学史」は片手間の学問か
日本では
科学史や医学史
というのは、大学内でもメインストリームではなく、片隅に追いやられている印象がある。
医学史研究者は、時々プロパーの歴史研究者に
医学史研究なんて年寄の医者の道楽
などという揶揄をされたり、胡散臭い目で見られることがある。でも、それは本当なのか。
敬愛する医学史・科学史研究者のblogを二つ紹介する。
慶應の鈴木晃仁さんの
身体・病気・医療の社会史の研究者による研究日誌
東京外大PDの若い科学史研究者、坂本邦暢さんの
オシテオサレテ
少なくとも、このお二人がやっていることは
片手間の学問
ではない。欧米では科学史研究には長い伝統があり、かつ学問的地位が高く、このお二人のdisciplineもそれに基づいている。知人の科学史研究者は、ハーバード大学の出身だが、
科学史では、激しい議論が出て当たり前
だという話をこのあいだ聞いたばかりだ。日本だと
発表者の学力・人格を疑うような質問
は、学会では控えられる傾向があるが、その手の厳しい質問が国際的な科学史関連の学会では珍しくない、とのことだった。
専門家が時間を割いて出席しているのに、その貴重な時間をムダにするような「発表」は糾弾されて然るべき
ということだろう。
原発の問題一つを取り上げるにしても、
成熟した科学史の観点からの議論
というのがほとんどなかった日本では起きるべくして起きた部分がある。欧米では科学史研究者は、アカデミックな世界だけでなく
報道・出版の分野
にもたくさんいて、何か科学や技術に関した問題が起きた際には、専門家としてその問題を取り上げ、普通の人に、科学的に誤りなく、的確かつやさしく説明できるシステムができあがっている。
日本では
文系出身で、なんの科学的思考や叙述の訓練も受けてない、ズブの素人の「自社の記者」が原発記事を書いたりしている
のとは大違いだ。
最近は欧米は、新聞記者のクビを切っているから、以前よりはこうした
すぐ科学関連の専門記事が書ける人材
を、社内に置いているとは限らないが、社外には、すぐ連絡できて、確実かつ適切な記事を書くことの出来る筆者がいる。もちろん彼らは
科学史関連の博士号や修士号を持っている筆者
だ。
なお、鈴木晃仁さんが、年末に慶應日吉キャンパスで開かれる
アジア医学史学会演題募集
を呼びかけている。
発表は英語
だ。国内で英語で医学史の研究発表が出来るチャンスなので、特に若い研究者には積極的に参加して欲しい。
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