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2012-03-26

杜甫の秦州詩を巡って

昨日は、桃の会。
桃の会は、京大名誉教授の小南一郎先生を囲む研究会で、半年に一度開かれ、先生のご発表と、受業生や受業生が担当している院生等が発表して、先生にコメントを頂くこぢんまりとした会だ。
 発表者と題目:
 西川ゆみ さん(奈良女子大学院生) 鮑照「蕪城賦」の表現
 鄭巍巍 さん(同志社大学院生) 明洪武年間鉄製大砲製造ブームの形成およびその形成要因について
 佐野誠子 さん(和光大学) 杜甫と濁酒
 小南一郎 先生 杜甫の秦州詩

小南先生の昨日のご発表は、杜詩を読む者なら誰でも気にかかる
 秦州詩の果たした役割
を鋭く解析したもので、従来の説とは異なり、実に刺激的だった。ご発表の内容は、おそらく
 中国文学報の近刊
に掲載されると思う。

佐野さんの発表は
 杜詩中に見える濁酒・濁醪という詩語
についての分析だったが、席上、1年先輩にあたる富山大の大野圭介さんが、
 杜甫の「羌村三首 其三」

 手中各有攜、傾榼濁復清。(手中各の攜ふる有り、榼を傾ければ濁復た清。)
をすっと引用したので
 おお、大野さん、凄い
と思ったのだったが、ふと手元にあった
 浦起龍『讀杜心解』
をめくって、なぜ、大野さんがその部分を覚えているのか、得心がいった。
大野さんは、かつて京大中文の学部ゼミで『讀杜心解』を扱ったとき
 羌村三首の担当
だったのである。それを思い出した。

三回生の年、なぜか興膳宏先生は、学部ゼミのテクストに『讀杜心解』を選ばれた。理由は分からない。一般に、杜詩を読むなら
 仇兆鰲『杜詩詳注』
を使うだろうけれども、どうしたわけか、ちょっとクセのある解釈の『讀杜心解』がテクストになった。吉川幸次郎先生は、これを学部の頃、一人で勉強されたそうだが、恐ろしい話である。実際、手強かった。

で、京大のゼミには
 イントロダクションはない
のである。
 いきなりテクストを読み始める
わけで、学部に上がったばかりで、右も左も分からないのに、いきなり『讀杜心解』の五古の詩を一つずつ担当することになった。そうなると、『讀杜心解』に当たり前のように出てくる
 弼曰、仇曰、朱曰、
等等の
 先行する杜詩の注釈を表す言葉
すら分からない状態で、ゼミに入ることになる。で、
 がっつり怒られる
ことになるわけだ。
 その「朱曰く」って何のこと?
と当然聞かれ、答えられないとなると、担当者の学力と意欲が疑われる次第となる。
冷僻字の多い杜詩だが、
 まず全部を中国音で読む
ところから、中文のゼミは始まる。必死で辞書を引く。対象がどの時代のテクストであろうと、中文のゼミなら
 まず中国音、それから文言であれば訓読の順
だ。訓読の仕方も習わない。見よう見まねで覚える。ま、ともかく
 身体で覚える
のが、京大の流儀だ。効率は悪いだろうけど
 人に教えて貰ったこと
は、身につかない。
 半泣きになりつつ、身体で覚えたこと
は、一生忘れない。

ゼミで調べが足りないのは
 本人の才能と努力が足りない
のであり、もし、答えに窮したり、詰問の激しさに臆して、間違って泣いたりすると、更にひどいことになった。
 泣いてるヒマがあるなら、その時間を準備に回せ
というのが鉄則なのだった。(ちなみに中文はまだ学生に優しい方で、印度学のゼミはもっと厳しく、泣く余裕さえ与えられなかった)今ならアカハラとか言われそうだけどね。基本的に
 才能も努力も「平等ではない」
というスタンスで教育が行われていた。
 出来ない奴は、自分で自分に見切りを付けろ
と言われているのと同じである。見切られないように、必死で勉強するしかない。

『讀杜心解』のゼミは二年続いた。その次に興膳先生が学部用に選ばれたのは
 黄遵憲『人境盧詩草』
で、銭仲聯の詳細な注の付いたテクストが出版されて間もなかった頃だ。この『人境盧詩草』がまた、読みにくいのである。

一方、
 中文の学部生は必ず『文選』を読む
ので、これは、川合康三先生が担当されていた。この年は
 古詩十九首
からだった。胡克家の覆宋本『李善注文選』(藝文印書館刊)を、今出川通りにある中文出版に買いに行くところから、準備は始まった。卒論が当代(日本で言う「現代」)だろうが何だろうが、ともかく
 『文選』は中文の基礎科目
である。

現代文は、この年、退官直前の先師清水茂先生が
 老舎の「柳屯的」
を読んで下さった。
 先秦から当代まですべての時代の中国語を読めるようになる
のが、中文・中哲の共通したアプローチだった。(最近はどうなっているか知らないけど)
清水茂先生は、間違いなく
 すべての時代の中国語が同じ強度で満遍なくお読みになれる先生
だった。あらゆる典故を駆使した
 清詩が自在に読める
ほぼ日本で唯一の先生だったと思う。詩作もされ、学生が詩の添削を御願いすると、気軽に添削をして下さっていた。

当時の京大文学部は
 年間授業数が12回
だった。だからこそ、あれだけ厳しいゼミでも身体が保ったのだろうと今にして思う。

杜詩研究は、京大中文のもう一つの伝統である。
小耳に挟んだのだが
 吉川幸次郎『杜甫詩注』の続編
を作る計画があるらしい。
吉川幸次郎先生の『杜甫詩注』の下調べを、若き日の小南一郎先生が担当されたそうで
 全然、時間が足りなかった
とおっしゃっていた。そして
 わたしも、吉川先生の『杜甫詩注』の原稿は見ているんですが、吉川先生は、その詩をどう読むかというのは、原稿には書いておられないんですよね
とにこやかに話されたのだった。

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