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2012-05-11

森銑三・柴田宵曲『書物』岩波文庫 緑153-1

戦時下の昭和18年に初版が出、戦後の昭和22年に増訂改版が出された
 森銑三・柴田宵曲『書物』
を発掘して、手に取っているところ。昭和18年頃、何があったんだか
 戦時下で状況は逼迫しているのだが、なぜか良書がいくつか出る
のだが、これもその一つといっていいのかも。増訂改版の森銑三の序を読むと、昭和20年、森銑三は蔵書をすべて戦災で失ったことが記されている。
解説は中村真一郎が書いているのだが、奥付を見てはっとした。
 1997年10月16日
となっている。中村真一郎はこの年の12月25日に亡くなった。とすると、この解説は、中村真一郎最晩年のものということになる。

昭和18年〜昭和22年というと、今から60年以上前なのだが、現在の出版にも通じる、森銑三の鋭い指摘があるので、その部分を書き写して、以下に転載する。


著述家(pp.32-34)
(前略)しかしながらいつの時代にも重んずべき著述家は少くて、重んずるに足らぬ著述家が多い。徒に多くの書を著して、何一つ特に挙ぐべきもののない人もいる。己を養うことは一向にしないで、ただ出す方にばかり追われている人がある。書肆の註文に応じて時好に投じそうなものばかりをつぎつぎ著して、能事終われりとしている人もある。時勢が変わったからと、以前著した書物とは全然傾向を異にする書物を著して恬然としている人もある。そうかと思うと、十年一日の如く似寄りの書物を何部でも何冊でも著して、端目からはよくも飽きないことだと思われる人もある。自分には何ら硏究することもなくて、ただ先人の著書に述べてあるところを書直して、一時を糊塗している人もある。努力だけは認められても、独創を全く欠いている人もある。質よりも量のある書物を拵えることに依って、自己の存在を認められようとしている人もある。影武者を使った代作の書物をつぎつぎと版にして、自ら大家を以て任じている人もある。(略)
 一口に著述家という内にも、大いに尊敬に値する人と値しない人と、あるいはかえって軽蔑に値する人とがあるわけである。多く売れた書物、評判になった書物の著者が尊敬に値する人で、売れなかった、問題にもせられなかった書物の著者が軽蔑に値する人だなどとはいわれない。かえってその反対の場合もあろう。著述家という内にも種々雑多な人がいる。私等に何人が真に尊敬に値する著述家か、その一事に注意を払うべきである。世間の評判には捉われずに、己の眼を以てそれを知ろうと努むべきである。(以下略)

肝に銘じたい。

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