コンサートピアニストの宿命 弾きにくいピアノをどう弾くか Daniil Trifonov in Nara @5/6 秋篠音楽堂
Daniil Trifonovは龍神に歓迎されたのか、奈良の朝は雨だった。
朝の散歩には行けたのだろうか。
近鉄大和西大寺駅から歩いて2分、奈良ファミリーの5階に今日の会場
秋篠音楽堂
がある。
普段は、ピアノの発表会等でも使用されるのと同じスタンウェイ
をTrifonovが弾くことになりそうだ。
開演10分前に秋篠音楽堂に到着。聴衆の年齢層は、
ピアノを習い始めた学齢前の子どもからご高齢の方
までと幅広い。前から3列目のTrifonovのよく見える場所に着席。最前列かぶりつきがなぜか3席あいている。
プログラムは以下の通り。
シューベルト/リスト:「12の歌」より “春のおもい”Schubert-Lisz, Fruhlingsglaube
シューベルト/リスト:「白鳥の歌」より “都会”Schubert-Lisz, Die Stadt
シューベルト:ピアノ・ソナタ 第21番 変ロ長調 作品960 Schubert, Piano Sonata in B-flat major, D. 960
(休憩)
ドビュッシー:映像 第1集 Debussy, Images I
水に映る影 Reflets dans l'eau
ラモーをたたえて Hommage à Rameau
運動 Mouvement
ショパン:12の練習曲 作品10 Chopin, Etudes, Op.10
まずは、昨年の紀尾井ホールでも演奏した「春のおもい」を挨拶代わりに流麗に弾く。Trifonovを初めて聞く人には、優れた導入になる。
その次の
Die Stadt
は、20世紀初頭の都会を表現しているように聞こえた。シューベルトが亡くなったのは1828年だけれども、都会の疎外が旋律から立ち昇る。
次が大曲の
Schubert, Sonata in B-flat major, D. 960
なのだけど、第一楽章からピアノとの格闘が始まる。秋篠音楽堂のスタンウェイは
中音域が「鳴らない」
のである。Trifonovの技術をもってしても、ぞっとするほど平板な音しか出ないのだ。
4/23のサントリーホールでは
ショパンコンクールと同じという噂のFazioli
を特別に持ち込み、ショパンコンクールでも調律を手がけた日本人調律師が丹念に
Trifonov向け調律
をしたピアノを、軽々と弾きこなしていたのだが、恐らく秋篠音楽堂のピアノは、ほとんど練習時間も取れなかっただろうし、調律師ともコミュニケーションが十分ではなかったのではないか。Trifonovの好む羽根のように軽いタッチとは明らかに異質のタッチに調律されたピアノで、
自分の音を出す
のが、今日のTrifonovの課題の一つとなったのだ。
いや、どうするのよ、Trifonov。煌めく高音部の弱音の美しさは紛う事なきTrifonovの音なのだけれども、中音部の音色の凡庸さは
ピアノが悪い
としかいいようがない。しかし、Trifonovは
音楽家はどのような条件でも自分の演奏をする
ことをテーゼとしている人物だ。これは、あの悲惨としかいいようのないオケを相手に、チャイコフスキーコンクールでショパンのピアノ協奏曲を弾いた時の発言で、それは今も変わってないだろう。はらはらする思いで第一楽章を聞いていた。
そして
Trifonovが常に最も得意とする緩徐楽章
が始まる。手元のプログラムには
シューベルトの最も美しい緩徐楽章
と記されているが、この弾きにくいピアノで、Trifonovは美しい旋律を彼の特長である美音でこれでもかと展開する。この辺りから、Trifonovの本領発揮だ。キレキレの演奏で最後までを弾き切った。鳴らない中音域なのだが、このピアノ、
ある程度のフォルテで叩けば響く
のである。但し、そうなると、Trifonovの何よりの特長である高音部の美しさはいささか損なわれる。そのリスクを冒してでもTrifonovはピアノをねじ伏せる。
第四楽章では、
虚空を見つめて、内なるSchubertと対話するTrifonov
の姿が見られた。Trifonovのファンならおなじみの光景である。Schubertとの対話はうまく行ったようで、狂気を孕んだ熱狂の内に曲は閉じられた。
前から3列目で、Trifonovの表情も指も足元もよく見えた。
休憩時間。他の会場では普通に入っていた
調律が入らない
のである。Trifonovの意向なのか、会場の都合なのかは謎。
前半に空いてた席は、休憩終了時にはほぼ埋まっていた。最前列の3席にも若い女性3人が座る。
そして後半はドビュッシーから始まる。
休憩で調律しなかった、相性の今一なスタンウェイでTrifonovはどう弾くのか。
作戰は
右手を強めに左手を軽く
だった。右手の旋律を前面に押し立て、左手を軽めに添える音作りである。
今年はドビュッシー生誕150周年に当たる。4/23のサントリーホールでは、当初予定されていたプログラムを変更して
Debussy, Images I
を全曲弾くことにしたTrifonovが2週間前とはどう違う演奏をするのかが楽しみだった。サントリーホールでは、2曲目の
Hommage à Rameau
がわかりにくかった印象があるのだけれども、今日はピアノが違うこともあるのか
シンプルな演奏
になっていた。
さて、問題のChopin, Etudes Op.10。ショパンコンクールの時のように
自分の思いに応えてくれる鍵盤
のピアノであればともかく、意に沿わない反応をするピアノで
誰もが知っている作品を弾く
のは、難しい。しかも
会場の雰囲気で演奏を変える
のがTrifonovである。今日のTrifonovは、手元のプログラムによれば
クラシック音楽の奈良における司祭モード
らしい。会場には少なからぬ、ピアノを習っていると思われる
ちいさいおともだち
が来ている。そのちいさいおともだちの耳に届くように、配慮してTrifonovは弾いているように聞こえた。但し、目の前のスタンウェイは、Trifonovの言うことを聞かない頑固者なので、時にTrifonovらしからぬミスタッチが零れる。
Etudes Op.10は、昨年のOp.25がそうであったように、
全12曲がどのような有機的連関をもっているか
という観点で、Trifonovは弾く。多くのピアニストが
個々の独立した曲
として弾くのとは異なる。誰もが知っている10-3の親しみやすいメロディーから、難曲の一つである10-4に移行するのを聞くのは実にスリリングだ。一呼吸置いて、10-3とは空気の色を変えると、一気呵成に10-4を弾く。美しく歌われる10-3から、指使いの厳しい10-4へ、矛盾なく、一つのまとまりをもった曲集として弾かれるのである。そして10-5は、Trifonovらしい、お茶目なタッチで演奏される。
ピアノとの相性の悪さは、10-8冒頭の大きなミスタッチで誰の耳にもはっきりした。がんばれ、Trifonov。
10-10、10-11と長調の曲が続く。10-10で安らかな夢のような世界を垣間見せ、10-11では、青春のはかなさを懐かしく、また苦く思いやる、夢から醒める直前のたゆたう気持ちを感じさせる。そして10-12は「革命」。Chopinの怒りが籠められているといわれるこの曲を、感情の奔流を表しながら凄いスピードで弾いていくのだ。
アンコールは3曲。
1. シューマン/リスト:献呈
Schumann-Lisz, Widmung S.566 R.253
2. チャイコフスキー/少しショパン風に
Tchaikovsky: Un poco di Chopin
3. ショパン/華麗なる大円舞曲
Chopin: Grande Valse Brillante, Op.18
この3曲は昨年9月の紀尾井ホールでのプログラムおよびアンコールの内の3曲である。
昨年9月のリサイタルについては以下に。
2011-09-09 Trifonovの幸せな夜@9/9 Daniil Trifonov Recital 紀尾井ホール
http://iori3.cocolog-nifty.com/tenkannichijo/2011/09/trifonov99-dani.html
いや〜、献呈をポップスのように弾いてましたよ、Trifonov。
コンサートピアニストにとっては
世界中の会場でその場にあるピアノを弾く
のが宿命である。今日のように、必ずしも意に染まないタッチのピアノであっても、それを手懐けたり、ねじ伏せたりしながら、自分の音楽を作り上げるのが、コンサートピアニストに課せられた仕事の一つである。
これからもTrifonovは、世界中で、自分のタッチとは相性のよくないピアノを弾くことが何度もあるだろう。そうした時に、音楽を放棄せず、あきらめずに
自分の出来る解決策を見いだしていく
のがTrifonovなのだ。
これからもTrifonovの旅は続く。旅に育てられながら、Trifonovは確実に音楽の階段を上っていく。
そして何より
作曲家としての視点
が、彼の楽曲解釈のすばらしさを支えている。単なる演奏家ではなく、もう一段高い場所から、Trifonovは自らの演奏する曲を見ているのである。これが21歳の若者なのだから、彼の音楽の将来は、いかなるものになるのか。Trifonovとの年齢差を考えると、彼の音楽の変遷と完成を最後までは見届けられないことだけが残念だ。
終演後、
CDもしくは本を買った人が参加できるサイン会
があった。CDを買い求め、家人はiPadにサインして貰った。Trifonovは一瞬
え? iPadにサインしてもいいの???
という顔をしたのだが、いいんですよ、ええ。本当はMacBook Airにサインして貰いたかったんだけど、諸般の事情でパス。
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