饅頭の箱に入った幻の南宋版金沢文庫旧蔵『孫真人玉函方』@6/17 小曽戸洋先生 第113回日本医史学会発表
千葉県館山市立博物館で2010年に開かれた小さな企画展示
村の医者どん
の図録に
個人蔵の漢籍版本『孫真人玉函方』の写真
が掲載されていた。写真は、現在「たてやまフィールドミュージアム」のサイトに掲載されている図録のものをお借りした。
その写真に着目したのが長野仁さんで、よく見ると
金沢文庫の所蔵印
が押されている。金沢文庫の偽印はたくさんあるのだが、
これはどうもホンモノの金沢文庫の印
のように見える。そして、その印が押されている漢籍は
版本に南宋版の風がある
ので、
ひょっとしたらこれはホンモノの南宋版本で金沢文庫旧蔵本ではないか
と、小曽戸洋先生に連絡が行ったのが昨年4月のことだという。
何により、用意周到な小曽戸先生が館山と縁の深い星野卓之さんを介して、館山市立博物館に
問題の南宋版本を含む、個人のコレクション
を調査を申し入れた。ところが
所蔵者は、大きさが丁度良いので、饅頭の箱に『孫真人玉函方』を入れておいたのだが、誤ってその饅頭の箱を廃棄してしまって原本がない
という回答が返ってきた。がっかりしながらも、現地を訪れ、調査をしたのが昨年5月末。
普通はここでおしまいなのだが、小曽戸先生は引きが強い。
つい先月、館山市立博物館から
なくなったと思っていた『孫真人玉函方』が見つかりました!
といううれしい知らせが来た。そこで、南宋版本かつ金沢文庫旧蔵を思われる『孫真人玉函方』の現物を調査した、というのが、昨日の小曽戸先生のご発表である。
所蔵者は欲のない方で
無料で館山市立博物館に寄贈
されたそうだ。南宋版本の市場価格は、とんでもないことになっているので、誠にすばらしいとしか言いようがない。千葉県は是非こういう稀代の篤志家を顕彰するように。
『孫真人玉函方』は、天下の孤本だが、果たして孫思邈[バク]の撰であるかどうかは、今後の調査待である。
ただ、小曽戸先生はご発表で
孫思邈[バク]自序で「開元」の語があるのが不審
と仰っていた。孫思邈[バク]は開元より前に亡くなっており、少なくとも
自序は偽作
だろうなあ。
ちなみに『宋史』藝文志六子類三醫書類に『孫真人玉函方』は、次のように著録されている。
孫思邈千金方三十卷
千金髓方二十卷
千金翼方三十卷
玉函方三卷
また、同部に著録されている
郭稽中婦人産育保慶集一卷
等も合刻されている。
今後の調査の進捗が楽しみだ。
5月の再発見以前の事情については、
『日本医史学雑誌』58-2, 2012.6.20, p.225
小曽戸洋・長野仁・星野卓之・天野陽介「幻の宋版『孫真人玉函方』ー金沢文庫旧蔵本」
を参照されたい。
ところで、
なぜ館山に金沢文庫の書物が
というのがいまの交通事情からすると不思議かもしれないけど、
安房(千葉)と三浦半島・鎌倉(神奈川)は海を挟んで対岸
だ。今年3月、館山市立博物館分館で、次のような企画展が開かれている。千葉日報3/14付記事より。
海通じ安房と鎌倉文化交流 企画展に文化財37点 館山市立博物館分館2012年03月14日 10:33
中世の安房における、対岸の鎌倉との文化交流を示す特別企画展「中世の安房と鎌倉-海で結ばれた信仰の道」展が、渚(なぎさ)の駅たてやま館内の市立博物館分館(同市館山)で開かれている。渚の駅オープンを記念した特別企画展。4月22日まで。
企画展では安房地域が海上交通によって、海を隔てた三浦半島や鎌倉と結ばれていたことを示す文化財37点が並ぶ。交流は古代にさかのぼるが、今回は鎌倉が政治・文化の中心となり栄えた鎌倉時代~戦国時代にスポットを当てた。
四部構成で、第一部は安房地域に鎌倉の有力武士や寺社の所領が数多く存在したことを示す出土品や古文書を展示。第二部では鎌倉の有力武士や僧侶の墓とされる「やぐら」に焦点を当てた。鎌倉に密集し、安房地域とりわけ内房に数多く点在する。県北部では見られない。
同館学芸員の池田英真さんは「渚の駅開館に当たり、海に開けた館山の、海を通じた交流を知ってもらいたい」と話す。
金沢文庫と安房は、古くは、現代の感覚よりも
遥かに近い土地
であったのだ。
おまけ。
館山市立博物館は太っ腹。
図録をサイトで公開している。
企画展特別展図録
八犬伝もあるよ。
No.18 八犬伝の世界
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