森家の人々
単行本の準備をしていて、そのごく一部のために
森鴎外一家の事蹟
の洗い出しをしている。森家の人々について調べるのは、昨日今日始めたことではない。ここ20年以上、こつこつ趣味で読んでいた森鴎外関係資料の虫干しをしている。
しかし、森鴎外って、妻子にとってみると、悪夢みたいな人間なんだよな。
どの家族も、
父は、兄はすばらしい
と書く。で、当然ながら
みんなにイイ顔
をするのだから、それぞれの家族間で
鴎外の取り合い
が起きちゃうわけだ。
鴎外が死んだら死んだで、鴎外の大きな翼の下で庇護されていた人達は、たちまち世間の寒風にさらされる。その辺りを、森家ではみそっかす扱いだった、鴎外の末子
森類
が、的確に描いている。森類は
器量望みで後妻に迎えられたしげそっくりの美男子
だが
勉学も芸事も身につかない人物
で、
学芸の家である森家では、身の置き所がない
のであった。あまりにも勉強が不得意で、学校から
病気のない生徒以外では、類さんが一番できません
といわれ、お腹を痛めた実の母親に
いっそ病気になるか、死んでくれればいいのに
とまでつぶやかれる。まったくもって身も蓋もない。
そんな類を、鴎外は
ボンチコ
といってかわいがる。類は
坊っちゃん、坊っちゃん
と呼ばれるので、自分の名前が
坊っちゃん
なのだと思い込んでいたのだったが、それを知った鴎外がおもしろがり、関西で「坊っちゃん」にあたる
ぼんち
に「子」をつけて「ボンチコ」と呼んだのだ。次女の杏奴も
アンヌコ
と呼ばれていた。鴎外の腕にくるまれた後妻しげと三人の子ども達と、先妻が産んだ長男於菟と森鴎外の母・妹・弟とは、あたかも敵同士のように、二つに区切られた観潮楼に住んでいた。もとはと言えば
親との同居を極端にいやがったしげ
が問題なのだが、「妻の家」と「母の家」では、自由な行き来もできず、互いに息を潜めて暮らしていた。しげは癇性で、いったん怒り出すと鴎外も止めきれないので、鴎外はしばしば、式典等を
その日の朝にドタキャン
しなくてはならなかった。鴎外の死後、しげは、
生涯の敵(かたき)
と憎んだ、生さぬ仲の長男於菟に
わたしはどこへ行っても評判が悪いのね
と淋しげに漏らしたのだが、実はその
鴎外博士の「嫁姑の不仲」を喧伝
した一つは
鴎外自身の小説
であったのだ。鴎外先生、実に食えない男なのである。
鴎外の悪口を、身内はほとんど言わない。
鴎外研究でも似たようなことがあって、最近はそうでもないのだが、学会によっては
鴎外はエライ
というのが大前提だったりするのである。エライ人の悪口を言うと、これが大変なんだな。
鴎外を大好きな自分への個人攻撃
と勘違いする方が出てきたりする。
こうなると
鴎外信仰
で
まさに宗教の域
に達してしまっている。研究の立ち位置が
鴎外への信仰告白
なのであれば、鴎外研究は早晩滅びるだろう。
個人的には
鴎外が実際に身近にいたら、面倒なだけ
だと思う。敬して遠ざけるのが吉だよね。露伴が
金が好きな男だ
と評していたけれども、露骨な表現はないが、日記や手紙をよく読んでみると、確かにそういう面はあるよね。
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