昭和十六年十月刊行 臺灣南方協會編『南方拓殖衞生指針』森於菟「緒言」
台北帝国大学在任時に発行された
昭和十六年十月刊行 臺灣南方協會編『南方拓殖衞生指針』
に載る、森鴎[正字が通らないので俗字使用]外の長男森於菟の「緒言」。
緒言
皇祖八紘一宇の大理想を宣らせ給ひてより二千六百年、子孫國民が今日其總力を擧げて東亞共榮圈確立に邁進しつつあるのは、此聖代に生れ合せたもののひとしく感激措く能はざる所である。而して我國が其志す所を達成する爲に廣く自然の資源を求むるには南方諸地域を以て最も必要とするは言を俟たぬ。從來我國の此方面に對する經濟的發展は唯少數の先覺者の手によって成されたのみで、しかも其營々たる苦心の漸く實を結ばんとする時には、多くは是等地方を植民地乃至勢力範圍とする歐米諸國の暴戾なる官憲の壓迫によって其進路を阻まれてゐたのであるが、今後は必然的に邦人の大量進出が實現されねばならない。而して邦人が風土還(ママ)境の祖國と異なる地方に永住して國家の爲に事業を發展せしむるには、まづ其地の衞生狀態と之に對處する方法を知り又最多き特殊疾病の豫防及治療に關して一通りの知識を備ふる事が必須條件である。
本書は以上の目的にそひ、今後廣く南方に進出する邦人の衞生案内書として編まれたもので、臺灣南方協會の委囑により主として同協會衞生委員會が其編纂の衝に當ったので、之を南方槪論及び疾病分布、疾病豫防及び治療、生活の三篇にわけ、衞生委員たる臺北帝國大學教授小田、高橋、富士、森下各博士の執筆を煩はした。本書が帝國南進の基礎を置く一助ともならば、それはひとり臺灣南方協會のみの幸とする所に止まらぬであらう。
猶本書は時局の進展に應じて編纂を急いだので、各篇繁簡必ずしも一ならず、又對照とする地域にも廣狹あり、且つ當然記すべくして間に合はなかった章節もあったのであるが、之等は幸に版を改める機を得た場合に補足追加して完全のものたらしめたいと期してゐるので讀者の寛恕を仰ぎたいと思ふ。
昭和十六年四月
臺灣南方協會衞生調査委員長 森於菟
| 固定リンク
« 環境省によるとPM2.5の12/1〜1/31のこの2年間の濃度はそれほど違わない件→昨年度の環境相は細野豪志現民主党幹事長→石原伸晃環境相は元々原発推進派 | トップページ | 北京のスーパーに「人参果」出現 »
コメント