高みへ 浅田真央の第二章(その1)
2010-11シーズン、浅田真央は、それまで築き上げ、国際的に高い評価を得ていた自分のスケーティングを
基礎から見直す
ことにした。
言葉で言うのはたやすい。
一度完成した、しかもすでに20歳を超えたアスリートにとって、それがいかに厳しく、困難な道のりであることか。その決意がマスコミを通じて世界中に流れたとき、わたしは慄然とした。
2010年のNHK杯でエキシビションと同時進行で行われた、NHK杯中継の名物コーナー
豊の部屋
で、
浅田真央の決意と行く手の厳しさ
を誰よりもよく知る樋口豊コーチは泣いた。
その時の話はこちらに。
2010-10-25 挑戦 フィギュアスケート2010 NHK杯 浅田真央の「新しいスタート」
http://iori3.cocolog-nifty.com/tenkannichijo/2010/10/2010-nhk-5e01.html
思えば、バンクーバー五輪への4年間、浅田真央には
大きな目標に向かって共に歩んでくれるコーチ
がいなかった。コーチは1年程度で変わり、試合で3Aは跳べるようになったけれども、それ以外の部分について、
時々取りこぼし
があった。
3Aは、今でも
現役シニアの女子選手では浅田真央以外は跳ばないジャンプ
である。
バンクーバー五輪の後、ロシアの若手選手などが
3Aを準備している
という噂は絶えず流れてきた。しかし2013年、五輪シーズンの冬を迎えた今も
浅田真央の他の選手は3Aを跳べない
のである。バンクーバー五輪が終わったときには
誰か別な選手も何人かその内跳べるようになるだろう
という
3Aを跳ぶ技術を根拠なく「軽視」する風潮
があったのは確かだ。しかし、それは間違っていた。
ソチ五輪への4年間、浅田真央は
共に闘ってくれるコーチ
を得た。
佐藤信夫・久美子夫妻
である。佐藤両コーチは、日本が誇る老練な名コーチだ。
もちろん
ローティーンから世界的名声を得ていた浅田真央を指導する
のには、最初、躊躇いがあっただろう。一度出来上がった選手を
もう一度作り直す
のは、一筋縄ではいかない。確実に成果が出るのかさえ、分からなかった。
それでも、
時に悍馬
である浅田真央は
徹底した基礎の積み直し
によって、
3Aを演技構成に組み込まなくても、得点の取れる選手に成長
した。
浅田真央が、封印していた3Aを試合で跳ぶようになったのは、昨シーズン終わりからだった。3Aの高得点がなくても、卓越したスケーティング技術で、浅田真央は安定した得点を得られるようになっていた。
そして今年。
花相撲
だと思っていた10/5ジャパンオープン(JO)で、さいたまスーパーアリーナの観客は度肝を抜かれ、そして、実に幸せな時間を過ごすことが出来た。
演技が始まって間もなく、鳥肌が立った。
スロースターター
と思われていて、シーズン始めは、調子の上がらない演技を見せることが多かった浅田真央が
早い仕上げ
で、
8分通りできあがった今シーズンのFSのラフマニノフのピアノ協奏曲2番
を披露したのだ。浅田真央の代名詞である
3A
を跳んだのはもちろん、バンクーバー五輪前年のプログラム「仮面舞踏会」から、タチアナ・タラソワが毎年課してきた
長く、難しく、複雑なステップ
を、いとも簡単に、華麗に軽やかに踏み、
軸のぶれない美しいスピン
をいくつも回った。
もうここまで出来上がっているのか
と、ファンは驚いた。
同日、続いて開かれた
カーニバル・オン・アイス2013
では、
今シーズンのSP「ショパンのノクターン」
を披露、アイスショーの照明の下、情感を込めて、
2度目のノクターン
を舞う浅田真央は素晴らしかった。東京のメディア勤務で、浅田真央ファンの友人は、テレビ放映を見てつぶやいた。
こんな素晴らしい演技を目の前で見られるのが分かっていたら、たまアリに行くんだった!!!!
浅田真央のソチ五輪シーズンは、本人が4月13日に表明した
集大成のシーズン
にふさわしい始まり方をした。
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コメント
感動しました!
投稿: オデッサ | 2013-11-12 10:14
オデッサさん、コメントありがとうございます。
ちょっと多忙で、なかなか今シーズンの真央ちゃんについてまとめて書く時間がありませんでした。
投稿: iori3 | 2013-11-12 22:19