初等教育が危ない 財政より先に教育現場が崩壊の恐れ
TLを眺めていたら、初等教育の現場から悲痛な叫びが聞こえてきた。
今一度、声を大にして言いたい。国語
、社会、算数、理科、生活、音楽、図工、家庭科、保健体育、道徳、英語、特活、総合という教科領域のすべてを、1年生から6年生まで指導できる。陸上部や水泳部の指導もできる。多様な保護者や子どもへのケアもできる。校務分掌は当然。これが小学校教員の現実。
— kh_kaz (@kh_kaz) 2013, 12月 13
@kh_kaz 確かに小学校の教員には何でもできることが求められていますね。せめて免許教科を理系・文系に分けて理系免許と文系免許の二人の教員で担任と副担任をする制度にすれば負担は軽減されるように思うのですが・・・。
— 吉田 誠 (@makoko39) 2013, 12月 13
そう、小学校の先生は
何でも出来なくてはいけない
存在なのだ。しかし、
小学校の先生の社会的地位は高いわけではない
のだ。
ところが、教員の力量を大学>高校>中学校>小学校>幼稚園という見る向きがあると感じられるのは、私のまわりだけだろうか。
小学校教員として、自分の領域の専門性も、それ以外の教科に関する指導力にも、児童理解と保護者支援の在り方にも、決して他の校種にひけをとるものではないと思うのだが。
— kh_kaz (@kh_kaz) 2013, 12月 13
所属する学校のヒエラルキーによって、学校の先生のヒエラルキーも決定されている。
万能を求められている
のにも関わらず
社会の見る目は「大したことない」
のである。
がんばればがんばるほど、徒労感が増す
のだ。
子どもとの関わりに喜びを感じ、より良い教育実践の在り方を模索し、保護者や地域と繋がりながら熱心に働く小学校教師。社会的な評価も給与も下がり続けるなかで、教師としての自分を支える最後の柱が「所詮、小学校の教員のくせに!」で片付けられたら...。そりゃ、折れるよ、普通。
— kh_kaz (@kh_kaz) 2013, 12月 13
@kh_kaz 深刻な問題になりつつあるようですね。国の財政再建の前に教育が崩壊したら、仮に財政がよくなっても国は破綻すると思います。
— 吉田 誠 (@makoko39) 2013, 12月 13
@makoko39 財務省がそれを許さないでしょう。そして、真面目な若手の教員ほど、無理をして壊れるか、その前に自ら去る決断をするかのどちらかなのだろうと思います。これがブラックでなくて、何なんだという思いがします。
— kh_kaz (@kh_kaz) 2013, 12月 13
このままの状態で、
小学校教員が過重な負担を強いられ、次々「使い潰されていく」サイクルが短くなれば、日本の教育の根幹は崩壊する
のは明かだ。
いま現実に起きていること。一人の教員が同じ学校に勤続できる年数は、自治体によって違うようだ。
@kh_kaz @makoko39 小学校は、今、大体3~5年位で異動というのが一般的だと思いますが、kh_kazさんの県では今度どうなるのですか?
— おとうさん (@oyaziMK2) 2013, 12月 13
@oyaziMK2 ゲッ!そうなんですか!うちのところは基本、新採用3年、その他8年でした。その8年が相当に短くなるとの事です。でも、都会では5年が一般的なら、変なツイートしちゃったなぁ
— kh_kaz (@kh_kaz) 2013, 12月 13
@kh_kaz 私が知っているのは北海道と関東南部位なので、もしかしたらそちらの方が特殊なのかもしれませんが、大体、5年越えると「異動しない?」とか管理職に囁かれたりするそうです。そして、最大でも10年はいないようです。(中学校はもう少し長い模様)
— おとうさん (@oyaziMK2) 2013, 12月 13
少子化の中、小学校教員の人員配置が、
より手薄になるような趨勢
になれば、現場の負担はさらに増すだろう。
こんな提案も。
小学校もそろそろ教科別にしたり、免状なしでも教えられる代用教員を採用でもしないと、ただ「こなせる」だけの人しか集まらなくなってしまうかもしれない。
— ペーパームーン (@undecided_now) 2013, 12月 13
今でも免許状無し(特別免許状)の教員採用は無いわけでは無い・・・
— おとうさん (@oyaziMK2) 2013, 12月 13
「全人的な陶冶」は最早幻想だから、
小学校でも科目別教員の設定
は、もっとやった方がイイと思うよ。
ちなみに、わたしの小学校高学年の担任は
体育の先生
だったのだが、ご本人が
国語を教えるのがあまり好きではなかった
ので、国語の授業は受ける方も苦痛だった。
教師が自分の苦手な科目を教える
とたいてい
自分が「その科目に対する苦手意識」を持ったまま教える
ので、
授業を受けている生徒にも「教師のイヤイヤ感」
が伝わってしまう。だから
「教師の苦手教科」を生徒も苦手に感じる
んだよね。
イヤは伝染する
のだ。逆に言えば
好きも伝染する
のだ。「好き」の方は、「イヤ」よりは感染力が弱いけどね。
世間は、
先生の中では大学の先生が一番えらい
と思ってるみたいだけれども
小中高の教員は免許制だが、大学の教員の地位に就くのに必要な資格は何一つない
のだ。
疲弊した現場へ、短期非常勤の人員を場当たり的に採用して教育現場を回していくと、その内、人は壊れたり、社会的評価の低さに絶望して去り、残った者の負担はますます大きくなる。
IT化がすすみ、時代の転換点にある時期だというのに、国には
初等教育100年の計
がないんだもん。そりゃ、目先の制度だけ変えていっても、ダメだ。
少子化時代、来たるべき「移民」との多文化共生時代への「初等教育」
をきっちり設計しないと。
国が方針を決めるよりも先に、多国籍の子どもがやってくる現場はある。実際に多国籍の子どもがやってくる、新宿区の保育園当たりだと
多文化共生は当たり前
みたいだけどね。
日本語が第二言語の子ども達(親は日本語ができない可能性も加味して)の教育
も考えて、初等教育を実施していかないと、
何がグローバル化だ
と、世界中から物笑いの種にされるだろうね。
ま、今の状態は
多国籍の児童が通う小学校運営は想定にない
んだろうな。
保護者は日本語が読める前提
だし
日本の教育を受けてない人には分からない「ブラックボックス」みたいないシステム
だし。
| 固定リンク
コメント