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2013-12-14

初等教育が危ない 財政より先に教育現場が崩壊の恐れ

TLを眺めていたら、初等教育の現場から悲痛な叫びが聞こえてきた。





そう、小学校の先生は
 何でも出来なくてはいけない
存在なのだ。しかし、
 小学校の先生の社会的地位は高いわけではない
のだ。

所属する学校のヒエラルキーによって、学校の先生のヒエラルキーも決定されている。
 万能を求められている
のにも関わらず
 社会の見る目は「大したことない」
のである。
 がんばればがんばるほど、徒労感が増す
のだ。







このままの状態で、
 小学校教員が過重な負担を強いられ、次々「使い潰されていく」サイクルが短くなれば、日本の教育の根幹は崩壊する
のは明かだ。

いま現実に起きていること。一人の教員が同じ学校に勤続できる年数は、自治体によって違うようだ。






少子化の中、小学校教員の人員配置が、
 より手薄になるような趨勢
になれば、現場の負担はさらに増すだろう。
こんな提案も。




「全人的な陶冶」は最早幻想だから、
 小学校でも科目別教員の設定
は、もっとやった方がイイと思うよ。
ちなみに、わたしの小学校高学年の担任は
 体育の先生
だったのだが、ご本人が
 国語を教えるのがあまり好きではなかった
ので、国語の授業は受ける方も苦痛だった。
 教師が自分の苦手な科目を教える
とたいてい
 自分が「その科目に対する苦手意識」を持ったまま教える
ので、
 授業を受けている生徒にも「教師のイヤイヤ感」
が伝わってしまう。だから
 「教師の苦手教科」を生徒も苦手に感じる
んだよね。
 イヤは伝染する
のだ。逆に言えば
 好きも伝染する
のだ。「好き」の方は、「イヤ」よりは感染力が弱いけどね。

世間は、
 先生の中では大学の先生が一番えらい
と思ってるみたいだけれども
 小中高の教員は免許制だが、大学の教員の地位に就くのに必要な資格は何一つない
のだ。

疲弊した現場へ、短期非常勤の人員を場当たり的に採用して教育現場を回していくと、その内、人は壊れたり、社会的評価の低さに絶望して去り、残った者の負担はますます大きくなる。
IT化がすすみ、時代の転換点にある時期だというのに、国には
 初等教育100年の計
がないんだもん。そりゃ、目先の制度だけ変えていっても、ダメだ。
 少子化時代、来たるべき「移民」との多文化共生時代への「初等教育」
をきっちり設計しないと。

国が方針を決めるよりも先に、多国籍の子どもがやってくる現場はある。実際に多国籍の子どもがやってくる、新宿区の保育園当たりだと
 多文化共生は当たり前
みたいだけどね。
 日本語が第二言語の子ども達(親は日本語ができない可能性も加味して)の教育
も考えて、初等教育を実施していかないと、
 何がグローバル化だ
と、世界中から物笑いの種にされるだろうね。

ま、今の状態は
 多国籍の児童が通う小学校運営は想定にない
んだろうな。
 保護者は日本語が読める前提
だし
 日本の教育を受けてない人には分からない「ブラックボックス」みたいないシステム
だし。

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