アバド追悼 「アバド時代」の遺産 ベルリン・フィル・デジタルコンサートで2002年までの演奏会17本を無料公開
クラウディオ・アバドが亡くなった。病と闘いながら指揮を続けていたが、昨年、コンサートをキャンセル、世界中のファンが体調を気遣っていたけれども、とうとう旅立っていった。
合掌。
1/21付NHKニュースより。
世界的指揮者のアバド氏死去
1月21日 1時46分世界的指揮者のアバド氏死去
イタリアの世界的な指揮者で、後進の音楽家の指導にも力を入れてきた、クラウディオ・アバドさんが死去しました。
80歳でした。イタリアの複数のメディアによりますと、クラウディオ・アバドさんは、20日、イタリア北部のボローニャの自宅で、家族にみとられて、死去しました。
アバドさんは北部のミラノ出身で、ミラノとウィーンで音楽を学び、1960年に「オペラの殿堂」と呼ばれるイタリアの「ミラノ・スカラ座」でデビューしました。
その後、ウィーン国立歌劇場の音楽監督などを経て、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団でカラヤン氏の後任として芸術監督を務め、世界的な指揮者としての地位を獲得しました。
日本にもたびたび公演で訪れ、2003年には世界の優れた芸術家に贈られる「高松宮殿下記念世界文化賞」を受賞しています。
また、ヨーロッパ各地で若手の音楽家を育成するためのオーケストラの創設に関わるなど、後進の指導にも力を入れ、去年、これまでの功績が認められ、イタリア議会上院の終身議員に任命されました。
アバドさんは2000年に胃がんの手術を受け、長い間、闘病生活を送っており、去年10月に予定されていた来日公演も健康上の理由で中止になっていました。
アバドを悼み、ベルリンフィル・デジタルコンサートが2002年までの演奏会17本を無料公開している。
「アバド時代」の遺産
1989年にヘルベルト・フォン・カラヤンが死去した後、その年の暮れにクラウディオ・アバドがベルリン・フィルの首席指揮者に就任しました。それ以降、2002年の退任まで、アバドは約13年間にわたり、ベルリン・フィルに栄光の時代をもたらしました。デジタル・コンサートホールでは、「アバド時代」へのオマージュとして、1991年から2002年までの演奏会の映像を、まとめて17本紹介いたします。
(以下略)
まだ病に冒される前の元気な姿で指揮する様子も見ることが出来る。
1994年の東京公演を再生しているところだけど、このコンサートでは
原典版 禿山の一夜
が最初に流れる。一般に演奏される、リムスキー・コルサコフ版とは全然違った、野趣溢れる編曲。
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