我愛北京天安門(わたしのすきなてんあんもん 文革時の流行歌謡)
今年も6月4日が来た。
というわけで、文化大革命当時の児童唱歌で、大抵の中国人なら歌えるはずの
我愛北京天安門(わたしのすきなてんあんもん)
の動画を貼っておく。
ついでなので、人民網の2009年5月17日付記事も。
「我愛北京天安門」(1)
我愛北京天安門(私の好きな天安門)
天安門上太陽昇(天安門の上に朝陽が昇る)
偉大領袖毛主席(偉大な指導者の毛主席)
指引我們向前進(我々を導いて前進する)13億人の中国人のほとんど全員がこの「我愛北京天安門」(私の好きな天安門)を歌うことができると言えるだろう。1949年10月1日、建国記念式典が天安門で行われ、天安門は現代中国の象徴となっている。(編集YH)
「人民網日本語版」2009年4月17日
本日、天安門広場は厳重な警戒下にある。NHKより。
天安門事件25年 周辺は厳戒態勢
6月4日 12時18分中国の北京で民主化を求める学生らの運動が武力で鎮圧され大勢の死傷者が出た天安門事件から、4日で25年になります。
天安門広場周辺には大勢の警察が動員されて厳戒態勢が敷かれ、市民の抗議行動がないか目を光らせています。天安門事件は1989年6月4日、民主化を求めて北京の天安門広場やその周辺に集まった学生や市民に対し、軍が発砲するなどして大勢の死傷者が出たもので、中国政府は319人が死亡したと発表していますが、犠牲者の数はこれをはるかに上回るという指摘もあります。
犠牲者の遺族らは政府に対して真相の究明や謝罪を求め続けていますが、事件は一部の学生らによる「暴乱」で軍の出動は正しかったとする中国政府の立場は変わりません。
事件から25年となった4日朝、天安門広場は観光客でにぎわう一方で、周辺には、銃を持った武装警察など、大勢の警察官が動員され、厳戒態勢が敷かれました。
広場では身元の確認や手荷物の検査が厳しく行われ、市民の抗議行動などに目を光らせていました。
中国では共産党の一党支配の下で官僚の腐敗や権力の乱用がまん延し体制そのものへの批判が水面下で広がっていますが、習近平指導部はこうした動きに危機感を強め、民主化を求める人々の言論活動を抑え込んでいます。
(以下略)
ちなみに、人民網上で
天安門
で検索を掛けると、次のような結果に。
根據相關法律法規和政策、部分搜索結果未予顯示。
というおなじみのフレーズが見られるが、一応検索は出来る。
これで出てくるトップ記事がこちら。6/3付瀋陽晩報の記事だ。天安門に掛かっている
中国国徽
を作ったのが、
瀋陽の工場だった
という内容。
天安門首批金屬國徽在瀋陽製造 保證幾十年不變色
この記事の結び。
1951年“五一”、新中國成立後的第一枚金屬國徽被懸掛在了天安門城樓上。如今、這枚國徽歴經風雨、見證著歴史的變遷和社會的發展。(1951年のメーデーの日、新中国成立後の最初の金属製の国徽が天安門の城楼[門の上にある二層の屋根部分]に掛けられた。いまも、この国徽は風雨に曝されつつ、歴史的変遷と社会の発展を見届けている。)
中国国徽ってこれね。
天安門の毛沢東の肖像画の真上、城楼の屋根の真下に掛かっている。
6/3の夕刊にこんな記事が載っちゃうところが、感慨深い。
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